ニューヨーク近郊の自宅からツーリングに出発したのは2005年6月10日のこと。それからおよそ3ヶ月ほどかけて、A. ニューヨーク、B. シカゴ、C. ウィニペグ、D. バンフ、E. ジャスパー、F. エドモントン、H. フェアバンクス → アラスカのあちこち → R. ドーソン、S. イヌビク、T. ホワイトホース、V. バンクーバー → 西海岸あちこち → W. サンディエゴ、フェニックスから旧ルート66、Y. ワシントン.D.C. → ニューヨークというルートを回りました。総走行距離はメーター読みで約3万キロ。
フリーウェイを使って北米一周をするときはだいたい似たようなルートになるんじゃないでしょうか。ただ、当初は南部からフロリダを回ってニューヨークに戻ってくるつもりだったのですが、あまりにも暑かったことと、ハリケーン「カトリーナ」が接近中だったため、旧ルート66経由に変更しました。
「ルート66」という道は、かつてアメリカでもっとも有名なハイウェイでした。テレビ番組『ルート66』とその主題歌が広範な人気を得たこともあってか、「The Mother Road」とか「The Main Street of America」とか「自由と民主主義の象徴」とまで呼ばれたことがあります。開拓時代にさかのぼるアメリカの移動熱の精神的支柱ともいえる位置を占めていたといえるでしょう。でも、場所によっては狭かったり、くねくねと入りくんでいて、新しいハイウェイの規格に合わなくなり、モータリゼーションの発達とともに廃道となったのです。ディズニー映画『Cars』でもそのことがテーマになっていましたね。
だから行政上はすでに存在しないハイウェイなのですが、今でも部分的に古い道が残っていますので、古きよきアメリカを体感しようとマイカーで訪れる人たちがたくさんいます。そういうお客さん目当てに道を整備しなおして、古い町並みを演出するなど観光資源に利用している沿線の町もあります(例1、例2)。日本からもルート66を自走するためにアメリカに渡るという人は少なくありません。
ところで、先ほどルート66について「自由と民主主義の象徴」と書きましたが、アメリカでは移動(とその手段)の自由がたいへん大切にされています。何かから自由になるために移動する、ということもしばしば。アメリカにはロードムービーがたくさんありますが、ほとんど例外なく自由を求めて旅をするストーリーです。シアトルで出会った女性が言うには、「(就職先に)シアトルを選んだ理由は別にないなぁ。ただ、シンシナティから離れて自由になりたかったの。」
日本の感覚では、田舎から都会に出ていくようなケースをのぞけば、都市間を移動したからって自由になるという発想にはつながりにくいと思います。一方、なぜアメリカでは移動することによって自由が得られるという感覚があるのか?
ぼくがすぐに思いつく理由は3つほどあります。だから他にもたくさんあるでしょう。
ひとつは、アメリカはその国土の大きさがいろいろな面で精神性に影響を及ぼしているという文化人類学の学説。つまり、国が大きすぎてリアリティをもって想像できる範囲を超えてしまっているため、遠く離れた土地には異界に等しい距離感をおぼえてしまう。そして、異界に飛び込めばしがらみも断ち切れる、というわけです。
ひとつは法制面での理由。アメリカは州ごとに独立性の高い法律を備えていて、州間ではあまり情報のやり取りがありません。911テロの後はかなり改善されてきていますが、FBIでないかぎり警察すら犯罪歴の情報を州外からアクセスすることが難しかったのです。だから、ある州で犯罪を犯しても、別の州に逃れれば時間稼ぎできる場合があり、それが移動=自由というイメージを形成した側面はあるでしょう。
最後の理由がいちばん単純で、移動にともなって生活構造(仕事や人脈など)が激変するから。アメリカって国が大きいせいで、引越ししたらそれまでの付き合いはそれっきり終わってしまって、新天地ではまったく新しい友達とすぐに仲良くなることが多いそうな。平均的なアメリカ人が誰とでもすぐに仲良くなるのはそのためだという説もあります。