大阪教育大のセクハラ事件について。
第一報は一般紙とスポーツ紙とで記述にズレがありますが、ここはあえてスポーツ紙をウェブ魚拓しておきましょう→スポーツ報知。
……教室で絵を描く準備をしていた女子学生(24)を研究室に招き、約10分間にわたってキスしたり胸などを触ったりした疑い。
女子学生は単位をもらえなくなると思い、抵抗できなかったという。事件のショックで心療内科に通院し、6月中旬に入院した。今年3月に学内の人権委員会に相談。同署に被害を届けた。その後、星容疑者は3月中旬に「会って謝りたい。このままでは大学をクビになる」というメールを送ったというが、供述では「同意の上だと思っていた」としている。
いまどきこれほど典型的なセクハラはめずらしいですね。大学のセクハラはもう少し複雑に入り組んだケースが多くなっていると思うのですが。
法の世界では、セクハラの構成要件として、(1)性的な言動がある、(2)それが相手の意に反している、(3)権力の格差がある、の3点が判例の中であげられています。でも、「相手の意に反している」という要件は評価がなかなか難しいため、トラブルの原因になりがちです。
例えば、大教大の事件のように、受け手が権力の行使を怖れてその場では抵抗の意思を表明できず、行為者は「同意の上だ」と解釈してしまったりする。こういうネジレはよくあることですね。というより、ほとんど例外なくセクハラに付随する特徴とすらいえるかもしれません。
もっとややこしいのは、受け手がそのときは「同意」のことだと思っていても――もっといえば、受け手のほうから誘いをかけていても――いざ頭が冷えてみると、性的な関係を持つのは本意でなかったと思い直すことがあります。はたして、これは「相手の意に反している」といえるのかどうか。
結論からいえば、どちらの例も、やはり、「相手の意に反している」と解釈するしかありません。二人の間に権力の格差があるときは、対等な立場を前提とする自発的な「同意」なんて成り立たないと考えるほうが自然だからです。
女子大ではめったにありませんが、共学の大学だと独身の教員と学生が恋愛関係になることもめずらしくありません。でも、恋愛関係とセクハラを区別する客観的な基準なんて存在しませんので、これは厳に慎むべきことだと思います。
たとえ、そのとき学生は教員に恋愛感情を持っていると自覚していたとしても、実は、教員への敬意をとりちがえた擬似的な感情かもしれません。しばらくお付き合いした後、学生がそれに気づいたとする。そしてセクハラだったと訴えることがある(某大学で実際にあった事例です)。
これって、学生にとっても不本意で傷つく経験でしょう。でも、教員にとっても、純粋な恋愛感情を踏みにじられ、しかも社会的地位まで危険にさらされる二重の裏切り行為だと感じられてしまうことになる。お互いにとって、たいへんな不幸です。
ということで、権力に格差があるとき、「同意」は幻想だし、「恋愛」も成立しない、という話でした。
(華原朋美と小室哲也なんて、どう見てもセクハラやろ。)
追記:
書いてるうちに忘れてしまってましたが、最初に書こうと思っていたのは、大阪教育大学には「セクハラ防止規定」がないのかな?という疑問でした。
記事にある「今年3月に学内の人権委員会に相談。同署に被害を届けた」というのが、
(a)人権委員会に相談したところ、同署に被害を届けるようにアドバイスを受け、それに従った
(b)人権委員会に相談すると同時に、同署に被害を届けた
のどちらなのかによって話が変わってきます。
aのようなセクハラ防止規定は聞いたことがありませんので、もしaであれば防止規定が未整備ということでしょうかね。もうはっきりと覚えてはいませんが、文部省(当時)が全大学に作成を指示したのは1999年ごろだったでしょうか。いまだに規定がない大学が残っているとも思えないのですが…
追追記:
「大阪教育大学セクシュアル・ハラスメント防止・対策に関する規程 (平成12年4月1日制定)」があるようです。調停や事実調査は記載されていますが、調査の前に告訴や被害届を促すという記述はありませんので、おそらくbのほうでしょう。
