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これはイヤなニュースだ

 このところ、ネットで「青学の瀬尾」というキーワードを見るようになって、何の話だろうと思っていたのですが…

 産経ニュース(4月26日付)から引用;

 青山学院大学(伊藤定良学長、東京都渋谷区)は25日、同大学の教員が個人HP(ホームページ)に記した記述が不適切だったとして、学長名義での謝罪文を大学HPに掲載した。

 問題となった記述は、国際政治経済学部の瀬尾佳美准教授(環境経済学)の個人HP内のもの。
 (以下、略)→記事全文のウェブ魚拓

 こちらが伊藤学長の見解(pdf)。「見解」と題してはいますが、記事の通り、事実上の謝罪です。

 なんとも不愉快な話ですね。

 おそらく電話で苦情を訴えてくる人もいたでしょう。メールでのクレームはさらに多かったと思います。

 しかし、いくら反感を買う内容を含んでいたとしても、どれだけ非常識な表現を用いていたとしても、大学教員が私的な立場で書いたものに対して学長が公式に謝罪をしてしまうというのは、およそ信じがたい愚行だと、ぼくは思いますね。

 なぜなら、(1)大学のイメージ低下を防ぎたいという経営判断から、学問の自由と言論の自由をみずから放棄し、世論におもねる大学であるということを標榜してしまった、(2)私的な言論に対して、所属組織の長が公式に謝罪するという筋違いを犯すことで、論理や理性よりも情緒を重視する組織であることをさらけ出してしまった、(3)問題の教員と議論すらせずに学長が一方的に謝罪(=断罪)してしまったことで、青学の教職員の言論を萎縮させてしまった、と考えられるからです。

 (1)学問の自由、言論の自由

 学問というのは「常識」を疑うところから始まるものです。少なくとも、デカルトの方法的懐疑主義に連なるほとんどの学問は、そうです。とくに、人文・社会科学分野であれば、一般に世間で信じられている「常識」を否定してみることが重要です。

 ソクラテスやガリレオを例に出すまでもなく、その時代のその社会の「常識」からいえば、きわめて非常識で、非倫理的だと判断されてしまう研究なんて、めずらしいものではありません。もともと、学問とはそういう要素を含むものだからです。つまり、学問というものは、もともと知的な次元において「非常識」なものなのです。

 教養教育に力を入れている大学で、入学後すぐに「批判的思考」という科目が必修になっているのは、そういう「非常識」な学問の性質に慣れてもらうためにほかなりません。

 問題となったブログでは、たしかに非常に攻撃的なレトリックが使われていました。しかし、いずれも言論の範疇であって、反社会的な行為を犯したり、他人に反社会的行為を扇動したりするものではありませんでした。反論の対象にはなりえても、告訴さえあればほぼ確実に名誉毀損罪や侮辱罪に問われるであろう記述も複数ある。それでもなお、学長が一方的に断罪するべきではなかったと思います。(注:コメント欄参照)

(2)私的な言論、公式な謝罪

 私的な言論に対して異議があるのなら、私的な言論で対抗すべきです。いち教員の私的な言論に対して、権力を持つ学長が公式謝罪という形で一方的に断罪すると、反論の機会を奪うことになってしまいます。

 学長として世間に何かを訴える必要があると判断したとしても、一方的に謝罪するのではなく、たとえば当該教員と同席して会見に臨み、当該教員に反論や批判をするということでもよかったと思います。

 問題の教員だって大学人です。公式の会見の場に同席したがらないということはないでしょう。組織の傘に守られていたいと考えるような人物なら、もとから実名で攻撃的なブログを書いたりはしないはずです。

 オープンに議論したうえで、結果として、その教員本人が謝罪をするということなら、一見猿芝居に見えてもはるかに好ましい。

 でも、そうはならなかった。学長が一方的に謝罪したということは、理性的な討議をないがしろにし、ヒステリックな世論に情緒的に与して、権力をもって言論を封殺したということです。理性よりも情緒を重視する大学なんて、みずから大学の価値を貶めるようなものだと、僕には思えますがね。

(3)組織のトップが言論を封殺する

 これは青学の問題なので外野から口を挟むことではありませんが、一般論として、組織のトップが権力をもって組織構成員の言論を封殺するというのは好ましくありません。構成員が萎縮して、組織運営の潜在的な障害になるからです。

 現代の大学経営において、学長がリーダーシップを発揮して、ガバナンスを整備したり、コンプライアンスを徹底したりするのは重要なことです。でも、言論を圧殺する形でそれを達成しようとするのは、あくまで一般論としてですが、あまり有能なリーダーがやることであるとは思われませんね。

P.S.

 ただ、問題となった先生の文章ですが、「非常識」というより「下品」なんですよね。言論というより人格が問題にされている現状に、正直、あんまり同情できない。

P.P.S.

 アクセスが異様に延びているなと思ったら、ニュー速にリンクがありました。なのにコメントが一件というのは少々サビシイ気もしますが、全部にコメントできるわけじゃないしなぁ。


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この一覧は、次のエントリーを参照しています: これはイヤなニュースだ:

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学術研究1研究環境の整備2専門の研究活動3著書・論文の刊行4学会発表5学会の運営... [詳しくはこちら]

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 今日は今年度初のオープンキャンパスでした。雨の中足を運んでくれたみなさん、あり... [詳しくはこちら]

» 「反社会的」かどうかは恣意的なもの 送信元 えり庵:大学教育ノート
 良くも悪くも、瀬尾氏のブログに起因する騒動はひとまずほぼ鎮静化したようです。や... [詳しくはこちら]

コメント (21)

しゃむ太:

結局、瀬尾のブログには思想・信条とか、自分の意見や考え、理論、
といったものが一切ない。
屁理屈でもレベルの低い意見や議論でも、間違いがあっても、
反感はかっても、それはそれなりに尊重されるんだけど。

したがって思想信条、言論・表現の自由、学問の自由、大学の自治、
などと言っても空しいだけで、そうした問題とはまったくそぐわない。

性根悪女のコンプレックスとその裏返しの高慢さ、
下劣な自己顕示欲、それによって人を侮辱し傷つける、
これが全て。そこが炎上の本質かと思う。

bruin:

> しゃむ太さん

不適切な表現をひとつ削除して公開としました。ご了承ください。

さて、問題が瀬尾氏のブログだけで止まっていたのなら、「思想信条、言論・表現の自由、学問の自由、大学の自治、などと言っても空しいだけで、そうした問題とはまったくそぐわない」という評価に特に反論はありません。

P.S.以下を読んでもらってもたぶん分かると思いますが、「炎上の本質」についての認識にも大きな違いはないようです。

しかし、学長が公式謝罪をした瞬間に、「炎上の本質」とは別に、「言論の自由」という問題が発生してしまいました。

その意味でも、公式謝罪は「愚行」だと書きました。他にやりようはいくらでもあったと思うんですけどね。

apj:

 サインインが必要とのことですが、投稿できるかしら?
 はじめまして。トラックバックありがとうございます。
 瀬尾氏の書いた内容には、同意できないだけではなく、むしろ下品で読めば反感を持つ内容なんですが、それでも、学長の謝罪は愚行ですよね。
 教員個人が責任を負って行った表現が適切かどうかを判断するのは大学のすべきことではありませんから。その表現で名誉が傷ついた人がいれば、個別に訴えるなりなんなりして回復をはかればよいだけの話ですし。

 私は、今、教員個人のblogでの発言内容は教員個人が負う、ということを主張し、勤務先及びマグローブ株式会社(磁気活水器マルチの会社)を提訴しています。こんな時に変な前例を作られては、はた迷惑ですよ……orz。

bruin:

 いらっしゃいませ、apjさん。

 そちらにもコメントしようかと思ったのですが、すでに多数のコメントが付いていたのでTBだけ送らせていただきました。

 普段はあまりTB送ったりということはしないのですが、一つ前のエントリーの最後でこう書かれていたのがツボにはまったというか、深く同意させられましたので。

#ってか、あまりにもblogの内容がひどく、憤っている人達の意見の方に同意できるので、私のこれまでの主張に照らし合わせつつ、このエントリーを書いていたら、踏み絵を踏まされた気分になった。

 ブログに社外秘の情報を漏洩したということで解雇になったケースはありますが、従業員のブログの件で社長が謝罪したという話は聞いたことがありません。

 青学には毅然と対応してほしいものです。apjさんも裁判がんばってください。

TABE:

はじめまして、まとめサイト書き込みからたどってきました。

PSで書かれていますが、本件は、教育者としての人格に問題があると思われて、抗議が殺到していると思います。

日記を読んだ感想としては、以下の通りです。

(1)学問の自由、言論の自由
確かに尊重されるべきと思います。
今回の件では、0.5人発言は、刑罰量の考え方といえばいないことは、ないですね。しかし、それ以外の発言があまりにひどいです。
死者に鞭打つような発言や他者をあざけるような書き込みが多いです。なかには、高速で180kmだしたとか、違法行為の告白までしてます。
言論の範疇といわれますが、私は、いささか逸脱してるように思います。
メディアが本人に取材を申し込みしましたが、断ったそうです。
お詫びの文章は、おわびに関係ない私的見解や、新聞社に対する不満のほうが多いでし、注意を受けてないとまで記載しました。
当該ブログもパスロックされたので、過去ログからアクセスしようとすると「ばかの壁」と表示されたりしますし、過去の記事を改ざんしています。
そういった卑怯な行為に対しても抗議が殺到しております。

(2)私的な言論、公式な謝罪
これについてですが、大学のHPやゼミ情報からのリンクもしておおり、肩書きを前面にだして記載していました。
ブログに「このブログは、私的なもの・・・」は、抗議が殺到したあとに書かれております。
また、内容もゼミ、講義に連動したものありました。
これで、私的とあとでいわれても、処分を恐れて逃げてるしか世間は、とらないでしょう。
青学の准教授が言った発言というのは、ぬぐえないと思います。
過激発言するには、リスク管理を怠ったと思います。
(ご自身でリスク管理の本執筆されてるのですがね)
青学BBSには、公開討論会を実施して欲しいとの書き込みも多数ありました。
大学が側がどのような態度をとるのかも見守りたいと思います。

(3)組織のトップが言論を封殺するについて
大学側が言論と認めれば、そういう対応をとるでしょう。
しかし、私見ですが、これは、言論とは言いがたいと思います。
光市の被害者に「昼間から家出ぶらぶらしてるから、殺されるって」瀬尾氏は、いったい彼女の何を知っていてこういう発言がでるのでしょうか
それこそ、言論の自由を訴えるなら、こんな真実をしってるから、こういう表現をしたと説明していただきたいですし、表現に伴うべき責任として、コメントを出すべきだと思います。

この件が引き合いにだされて他の発言まで潰されるという危惧があるのかもしれませんが、その時々の事案で対処しないといけないと思います。

私は、ブログを全部読みましたが、表現の自由で済まされる範疇をはるかに逸脱した文章が多かったと思います。

いらっしゃいませ、TABEさん。コメントありがとうございます。ただ、ぼくの書き方が分かりにくかったようで、少し誤解があるようです。大きく分けて2点、補足させていただきますね。

まず一つ目。

問題の教員のブログを読んで傷ついたり憤ったりした人であれば、言論の範囲内で、いくらだって抗議をしたらいいと思っています。また、ぼくの価値観からいえば、彼女はそれを正面から受け止める責務があると思います。

ただ、彼女の所属大学の権威筋だけは、個人的にはどんなに怒ろうとも、公式にはうかつに動くべきではなかった、というのが上記のエントリーの主旨です。

学長が動く前に、青学の教員有志一同が連名で非難声明を出すというのも悪くなかったと思います。

学長がやるとしたら、ただ謝罪するのではなく、共同記者会見で堂々と議論したうえで、彼女の主張を論理でねじ伏せ、自発的な謝罪に追い込むのがもっともスマートだったと思います。学長が謝ると、組織の問題だったと認めたことになりますからね。それより、当人を表に引っ張り出して、問題の所在を浮き彫りにしたほうがいい。

それだけのことをやっていれば、次の一手も打てたはずですけどね。

次の一手とは、禁じ手に近いのですが、ほとんどの大学では、教員の就業規則に「人格が高潔であること」という規定があります。たいへんあいまいな基準ですので、通常はその規定によって誰かを罰するということはありえません。

が、論理的な思考力を問い、倫理的な問題を明らかにし、学生指導の前提となる社会的スキルの未熟を公衆の面前で指摘することができていれば、この規定を適用する政治的素地が整います。

でも学長がまず謝ってしまえば、もうこの手は使えません。使ってもいいけど、大学としては自殺行為ですね。

次に、二点目。

「(2)私的な言論、公式な謝罪」については、追加のエントリーを本日執筆しました。

まだ書きかけなので何の話なのか分かりにくいと思いますが、(1)彼女のブログは教育目的を含むものであるため、たとえ私的な見解を綴ったものだとしても、大学の業務の一環とみなすこともできる、(2)一般の企業の感覚からいえば、会社の業務であれば上司の監督に服さなければならない。部下のミスは上司が謝ってオトシマエをつけたりしますしね。(3)でも、大学では話が違います。たとえ業務の一環であっても、教員個人の裁量に任されている部分がたいへん大きく、上司(学長)の監督に服すということはほとんどありません。また、学問の自由、表現の自由を保障するため、監督に服すべきではない面もある。(4)ただし、…

という流れで進んでいく予定です。

TABE:

なるほど、大学内の考え方を知っているかどうかの差はありますが、要約するとこんな感じですか?

瀬尾氏も青学も対応を誤った、みずから泥沼に進む行為をおこなっている。

こんな事件を過去の事例にされて、言論の自由を妨げることがあっては、ならない

あってますか?

apj:

この件について、私の論の根拠を説明する記事を書きました。
http://www.cm.kj.yamagata-u.ac.jp/blog/index.php?logid=9350

bruin:

>TABEさん

ちょっと分かりにくいかもしれませんが、ぼくは「言論の自由を妨げることがあっては、ならない」とは主張していません。いや、そう思ってはいますが、書いていません。

僕が主張したのは、大学教員の言論は大学教員個人がとことんまで責を負うべきものであって、学長が謝罪をするのはおかしい、ということに尽きます。

日本の一般通念とはちがうように感じられるかもしれませんが、今日のエントリーで補足説明をしてあります。


>apjさん

昨日、寝る前に、ぼくとはややスタンスが違うものの、名文だなぁと思って読みました。

いまはサーバーにつながらないようですが。

SYSB:

初めて投稿するものです。
「大学教員の言論は大学教員個人がとことんまで責を負うべきものであって、学長が謝罪をするのはおかしい」というお言葉自体は納得できますが、今回の瀬尾准教授の件には別の面があるのではないでしょうか。
大学を教育というサービスを提供する企業として考えた場合、そのサービスの質を疑わせる事実があれば、責任者が謝罪することは当然と思われます。
ブログの記述を見る限り、瀬尾准教授は教育者としての適性に疑問を持たれてもやむを得ないでしょう。そのような人物が教鞭を執っていたことを批判されたからこそ、雇用していた側の責任者として学長が謝罪したのであって、言論の中身について学長が代わりに謝罪したわけではないように感じました。

また、「学問の自由」という言葉もお使いになっていますが、これも本件では疑問です。どう考えても、中傷されている方々の不利益に見合う学問的な利益はありそうにないからです。
「学問の自由」は貴重な、強力な武器です。それだけに、使用には慎重になる必要があるのではないでしょうか。「学者は何を言ってもいい」というレベルで振り回せば、取り上げられる口実になりかねません(報道の自由についても制限を求める議論があるように)。

以上、個人的な考えではありますがご一考いただければ幸いです。

bruin:

>SYSBさん

いらっしゃいませ。いいテーマですね。コメント欄に埋もれさせるのは少しもったいないですが、とりあえずこちらに答えさせていただきます。

「今回の瀬尾准教授の件には別の面があるのではないでしょうか」とのことですが、ぼくもそう思います。

しかし、学問の自由が侵害されるケースとの共通点も多々あります。apjさんも書いていたように、持論をこんなひどいケースに適用するのは忸怩たる思いですが。

さて、

大学を教育というサービスを提供する企業として考えた場合、そのサービスの質を疑わせる事実があれば、責任者が謝罪することは当然と思われます。
とのことですが、たしかに「サービスの質」に明らかに問題があって世間を騒がせたとなれば、学長が出てくるのは当然だと思います。(ただし、出てきて何をするかといえば、ぼくなら、世間に向かって中途半端な謝罪をするより、ステークホルダーに向かって徹底的に説明責任を果たすのが筋だと思いますが)

しかし、そこで問われるのは「サービスの質」とは何かです。

たとえば、「授業回数の半分も授業をせずに休講ばかり」「学生にセクハラ/アカハラ」「アルコールを飲んで授業」「教員が薬物中毒」のように、授業担当者としての資質に明らかに問題があるというケースであれば問題なく処分したり謝罪したりできます。

しかし、大学教員がブログに記述した内容がいちじるしく非倫理的であったとき、本当に「サービスの質」に明らかに問題があったといえるのか、ということですね。

「ブログの記述を見る限り、瀬尾准教授は教育者としての適性に疑問を持たれてもやむを得ないでしょう」という認識には、僕自身も強く首肯したい気持ちもあるのですが、それでもやっぱり同意はできません。

なぜなら、(瀬尾氏がそうだとは言いませんが一般論として、)ブログにはめちゃくちゃなことを書いていても、実際の授業は内容も方法もしっかりしていて、学生たちからも他の教員からも高く評価されているかもしれないからです。(「めちゃくちゃ」の内容は瀬尾氏と違いますが、そういう事例を僕はいくつか知っています。)その場合、大学として「サービスの質」に問題があるとはいえないでしょう。

また、「学問の自由」という言葉もお使いになっていますが、これも本件では疑問です。どう考えても、中傷されている方々の不利益に見合う学問的な利益はありそうにないからです。「学問の自由」は貴重な、強力な武器です。それだけに、使用には慎重になる必要があるのではないでしょうか。
 これはいい指摘ですね。ちょっと時間をかけて考えてみたいと思います。

ただ、例えばですね、ある国際関係論の研究者が、日本とアメリカの対北朝鮮政策を強烈なレトリックで批判し、北朝鮮を熱烈に擁護したとしましょう。レトリックはともかく、内容は学術的には妥当だったとします。しかし、その言論は、現在の日本の社会通念ではとても受け入れられない。2chでネトウヨが騒ぎ出す。右翼が街宣車で大学周辺を走り回る、マスメディアも悪ノリし始める。とうとう、日本でもっとも悪いやつというイメージが形成される……というような事例があったとしましょう。

瀬尾氏と、この国際関係論者はどこがちがうのか?

「中傷されている方々の不利益に見合う学問的な利益」というのは両者を分ける有力なロジックのようにも思われますが、利益/不利益は判断する立場によって変わります。

国際関係論の研究者の言論も、けっきょく日本国民を傷つけ憤慨させた程度に見合うほどの学問的利益を代表しているかどうかとなるとあやしくなってきます。

たぶん、違いがあるとすれば、瀬尾氏は個人を中傷した、ということだけのような気がするのです。

どうでしょうかね。

SYSB:

ご回答いただき、ありがとうございました。

前回の私のコメント冒頭にも少し書きましたが、一般論の部分については概ね納得しております。
しかし「今回の瀬尾准教授の件」と限定をつけて疑問を呈した理由は、そのような一般論を適用するには、率直に申して「あまりにもレベルが低いケース」と感じているためです。

前回明記しておりませんでしたが、私は学長が謝罪したことを正当と主張しているわけではございません。

ただ、問題のブログは教育者としてというより人としてどうかという内容でしたから、サービスの質に疑いを持たれるのは当然であり、大学側として何らかの見解を表明する必要はあったと考えております。

そのとき、例に挙げられていたように講義内容が素晴らしいものであったなら、そのように説明することも可能だったでしょう。それをせず謝罪した理由は不明ですが、実際にサービスの質に問題があったためである可能性も残る以上、機械的に一般論を適用して「愚行」とか「学問の自由の侵害」と決めつけることに疑問を感じた次第です。

「学問の自由」の方については、まず前回のコメントに至った私の考え方をご説明させていただきます。

複数の権利が衝突する場合、全体の利益の総和が最大になるように調整するのは、一般的な1つの方法です。

私は法律に関して素人ですが、「公共の福祉に反しない限り」という憲法12条の記述や(そういえば今日は憲法記念日ですね)、名誉棄損罪が公益を目的とした場合に一定の条件を満たせば免責となることについて、より大きい利益(公益)は個人の権利に優先するということと理解しております。

逆にそれだけの利益がないなら他人の権利を侵害してはならない、ということは「学問の自由」にも当てはまるのではないか、というのが前回のコメントの主旨です。

なお、実のところ例として挙げられた「国際関係論者」は本件とどのような関係があるのか、理解できておりません。「利益/不利益は判断する立場によって変わります」とのお言葉はもっともですが、判断できないグレーゾーンがあるから真っ黒についても一切判断すべきではないとのことならば、賛成致しかねます。

ある意味、学問とは妥当な判断ができる領域を拡げていくことを目的として、少しずつ知識を積み上げていくこととも言えないでしょうか。

最後になりますが、私の考えを押し付けるためにコメントしたわけではないことを付言させていただきます。
本件を学問の自由の侵害と捉えることは、学者にあらざる一社会人の目にはむしろ学問の自由を危うくする恐れのある行為と映ったことをお知らせしたく、筆(?)を執りました。

何らかのご参考になれば幸いです。

bruin:

> SYSBさん

いつも真摯なコメント、どうもありがとうございます。

前回明記しておりませんでしたが、私は学長が謝罪したことを正当と主張しているわけではございません。

ただ、問題のブログは教育者としてというより人としてどうかという内容でしたから、サービスの質に疑いを持たれるのは当然であり、大学側として何らかの見解を表明する必要はあったと考えております。
なるほど、そういうことでしたか。だとすると、ぼくとSYSBさんの意見の相違はほとんどないということになります。

学問の自由、表現の自由のいずれも公共の福祉の制約を受けるケースがあることはいわば当然の法理ですし、瀬尾氏のケースは限りなくクロに近いことも同意します。また、僕自身、学長が「何らかの見解を表明」することはあってもよいと考えていますので、表面的には相違はないといっても過言ではありません。

そうそう、このエントリーを投稿したときは、瀬尾氏のブログを流し読みしかしていなかったため、「問題となったブログは、いずれも言論の範疇であって、反社会的な行為を犯したり、他人に反社会的行為を扇動したりするものではありませんでした」と書きました。しかし、その6時間後にはすでに、告訴さえあればほぼ確実に名誉毀損罪や侮辱罪に問われるであろう記述が複数あることを承知していました。エントリーの主旨に大きな影響がないと判断して修正しませんでしたが、SYSBさんとの対話の中では大事な事実認識になりますので、訂正させてください。

とすると、ぼくとSYSBさんの見解の相違はおそらく一つだけだと思います。すなわち、学問の自由や表現の自由に対して制約を課さざるをえないのはどのようなケースか、という認識です。

ぼくは、瀬尾氏のケースについても、学長が一方的に謝罪してしまうのはナンセンスだと考えています。今でもエントリーの主張に変化はありません。以下、あまり上手ではありませんが、その理由をできるだけ説明したいと思います。

ちょっと遠回りになりますが、ご存知でしょうか、1995年に村山政権が人種差別撤廃条約を批准したとき、差別思想の流布、扇動等を法律で処罰するよう求めた第4条について、「日本国憲法との整合性に問題がある」との理由で留保したことを。

あまりに非倫理的な話なので明言はされませんが、ようするに、政府は差別を受けない権利(憲法第13〜14条)よりも、差別する自由(第21条)のほうを上位価値とみなしているということです。ぼくは政府の判断には同意しませんが、表現の自由というのはそれくらい重いものだという認識は共有しています。

東京都知事が「中国人はDNAレベルで残虐」というコラムを書いても、これ以上ないというくらい典型的な差別発言ですが、なんら法には問われませんでした。社会的影響という意味では、私立大学の一教員の放言より、東京都知事の差別発言のほうが重大だとぼくは思いますがね。いずれにせよ、公序良俗に反するという程度であれば、「公共の福祉による自由の制限」という核兵器を適用するべきではないのです。

前回述べた国際関係論者も、表現の自由が「公共の福祉」と抵触するケースとして例に出しました。学問的良心に基づく発言であっても、時代の価値観しだいでは「国民の健康・安全に対する弊害」になりえます。なにせ学問というのは非常識な要素を原理的に抱えているものですから。この国際関係論者の表現の自由を制限できるということになれば、もうあとはあらゆる人権保障に制約を加えることができることになりますね。

以上の観点から、瀬尾氏のケースについても、学長が謝罪をするのは不適切だと考えています。

ただ、「判断できないグレーゾーンがあるから真っ黒についても一切判断すべきではないとのことならば、賛成致しかねます」との指摘は、なるほど、と思いました。たしかに、ぼくはそういう論旨で書いていますね。というより、正直、グレーと黒の線をどこで引いたらいいのか、ぼくにはわからないのです。

ぼくは社会学者ですので、グレーと黒の境界線は、時代によっても社会によっても、あるいはちょっとした出来事をきっかけとしても、変化するものだということを知っています。つまり、客観的には決められないものだということを知っているわけです。グレーと黒との境界は、何らかの基準を強引に適用しなければ決められません。

その基準が、もし「世論の反発を受けないかどうか」というものであれば、とても同意することはできないと思っています。

P.S.

ぼくは仕事がら、こういう議論には慣れていますので、反論されたからといって人格を攻撃されたように錯覚するということはありませんよ。安心してください。

匿名:

ひとつ、質問させていただきたい。

話題の舞台となった学校の、在校生、保護者、教員、後援者、OBとOG、これらの人々に対して、責任者はどのようなプレゼンスをすればよいのか?

言論とその自由について、は、触れないでおく。

> (1)大学のイメージ低下を防ぎたいという経営判断から、学問の自由と言論の自由をみずから放棄し、世論におもねる大学であるということを標榜してしまった

だなどと矮小化できない問題ではないのか?

> 匿名さんへ

「保護者」はこちらで追加しておきました。順番はあれでよかったでしょうか?

さて、今回のケースについて、学長がステークホルダーにどう対処すべき(だった)かということですが、可能性としてはいろいろ考えられますよ。3日のエントリーはそのことをテーマに含むものだったのですが、読んではいらっしゃらないようですね。(そういう方にお答えするのはあまり乗り気にはならないものですよ。)

戦略によって変わってきますが、速攻で何らかの対応をしておきたいということであれば、青学が実際に採った「声明」の発表は悪くはないと思います。ただし、文面は;

  1. 瀬尾氏の文章は大学の見解を代表するものではないこと
  2. それどころか建学の理念とは相容れないこと
  3. 学長個人としては大変遺憾に思っていること
  4. 瀬尾氏は研究業績、教育実績ともにこれまで問題はなく、大学教員としての職務は立派に果たしていること(事実かどうかは知りませんよ)
  5. しかし、研究者として言論に最大限の責任をともなうことは当然であり、当人にブログの執筆意図等について真摯に説明するよう指導した
  6. 当人から回答があるまで今しばらくお待ちいただきたい
というのが最大限に踏み込んだ内容でしょうか。

あるいは、コメント欄の上のほうに書いた共同記者会見も早期の対応方法の一つです。瀬尾氏を記者会見に同席させることは業務命令で可能でしょう。この場合の学長のスタンスは、基本的に上の声明通りです。瀬尾氏というファクターが介在する以上、受け答えによっては問題が拡大してしまうリスクもあります。彼女に説明責任を果たさせる器量がなければ、やめておいたほうがいいでしょう。

でも、かりにぼくが青学の学長だったとしたら、まずは事態が少し沈静化するまで待ちますね(3日のエントリー参照)。その上で、ステークホルダーのあらゆる疑問と怒りに完全に答えるぐらいの勢いで、徹底的に情報開示をします。

他にも、公開討論会の設置(事実上の“つるし上げ”ですが)など、いろいろと考えられると思いますよ。

ほいほい:

元来、人が社会生活を円滑に過ごす為のルールとして社会規範があります。
大多数の人は基本的には道徳、倫理に基づいて生きています。
「破られるためにある」と言われる法律は最低限の約束事にすぎません。
人の言動の許容範囲は法律以前に、社会規範との整合性において規定されます。自分自身と自己の内面、家族、親戚、地域(町内、自治会)、勤務先、サークル、自治体、国、世界との関係においてそれぞれのルール、社会規範があります。
そのルールを決めるのは、人の暗黙の共通した基準です。
言論の自由・表現の自由が国家権力や専制政治に対する闘いの中でおびただしい犠牲と引き換えに獲得されてきた、犯す事のできない、人が有する崇高な権利だと思います。
何人にも言論の自由、表現の自由があります。
また、それに対する批判、反論についても言論の自由、表現の自由があり、それも尊重されなければならない。
WEB上で批判する事、関係する属性・勤務先に社会規範に許容されるにおいてアプローチする事も表現の自由の範疇です。
身分や名前を明示し、言論を開陳する時、文責者、家族、親戚、地域(町内、自治会)、勤務先、サークル、自治体等の属性を捨象する事はできない。本人・属性に対する賛同・反論・批判が行われる事もまた表現の自由である。
純然たる個人の言論であるなら身分や属性を明示する必要はない。
個人名、ペンネームで充分であろう。社会規範に反するであろうと予想される「言論」を展開する中で敢えて属性を明示した時点で、「個人的」言論ではなくなっている。
最終的に「個人的言論」が社会的な整合性を有しているかどうかは世論が決める事でありそれが民主主義であろう。
「個人的言論」の内容そのもの、世論の勢いを感じ取って学長が「謝罪」した事は当然であり、言論の自由、学問の自由、大学の自治、と何ら矛盾するものではない。

匿名:

> 順番はあれでよかったでしょうか?

ベストなシークエンスです。

事実としては、

> 5. しかし、研究者として言論に最大限の責任をともなうことは当然
> であり、当人にブログの執筆意図等について真摯に説明するよう指導
> した

これが瀬尾に思い切り梯子はずされまくっていること、指摘しておきます。
当日(金曜日)終日授業、学長とは面談していない、かばかりか面識もない
と、瀬尾本人が告白しているわけです。

というわけなので、

> 6. 当人から回答があるまで今しばらくお待ちいただきたい

だなどとしたひにゃ、とんでもないことになっていたでしょう。

ケンカすること自体を目的としてケンカをする類の人物(狂犬といいます
な)に対しては「お人好し」にすぎるとは思うのですが、これについては
ここまでで。

> 3日のエントリーはそのことをテーマに含むものだったのですが、

このエントリーはマスメディアを念頭に置いたものと解釈しますが、いか
がか? 私が問題にしたいのは関係者(ことに在校生の母親)への対処です。

その3日のエントリーにおいて、

> では、どうすればよいのか? 一般には2つの対策がとられています。

と言ってる2つの方法は、別名「燃料投下」でしょう。時間がたてばたつ
ほど、炎上というものは広域化します。こんな態度を母親たちに向かっ
てやってごらんなさい。背筋が凍るね
ちなみに、

> ネットの「炎上」とは違いますが、社員が就業時間外に起こした不祥事
> に対して、社長が泣きながら謝ったらもうそれで許してあげる、みたい
> なところが日本文化にはありますからね。この方法はけっこう有効です。

緑十字の記者会見で役員一同がそろってアタマ下げた一件以来この方法は
戦術としては成立しなくなっていますが、なにか。
# ありり、どこぞの証券会社の社長だったっけかな。「社員ちいともわろ
# うないです。悪いのは私です」っつーたのは。あれ、どう思いました?


で、3日前のエントリーからこっちに帰ってきて、

> あるいは、コメント欄の上のほうに書いた共同記者会見も早期の対応方
> 法の一つです。

これもまたマスメディア対策

> でも、かりにぼくが青学の学長だったとしたら、まずは事態が少し沈静
> 化するまで待ちますね(3日のエントリー参照)。

だから、それは燃料投下でしかないと (ry

> その上で、ステークホルダーのあらゆる疑問と怒りに完全に答えるぐら
> いの勢いで、徹底的に情報開示をします。

> 他にも、公開討論会の設置(事実上の“つるし上げ”ですが)など、い
> ろいろと考えられると思いますよ。

こういうのは、どっち向いてやる行為なんでしょうか。
つか、「事実上の“つるし上げ”」って、言論の自由封殺のもっとも効果
的な方法だわなあ。そういうことも考えるわけですね?

> 匿名氏

「事実としては、」以下の部分については、青学が実際に採った方策をぼくにこぼされても困ります。“ぼくならどういうやり方をするのか”という話をしていると思っていたのですが、違ったのでしょうか?

私が問題にしたいのは関係者(ことに在校生の母親)への対処です。
そうでしたか。ステークホルダー全部を列挙していたので、迅速な対応を期待するならマスメディア対策だと考えたのですが。

他にも僕との間でテーマに混乱があるようですね。「炎上」を鎮火するためには何をすればよかったのかという話なのか、それとも、ステークホルダーに誠意を示すにはどのような方法を採るべきかという話か。今回の反論は両者にまたがっていますが、前回のコメントは前者でしたよね? 両方は一致させるのが理想でしょうけど、そううまくはいかないと思いますよ。

> ネットの「炎上」とは違いますが、社員が就業時間外に起こした不祥事
> に対して、社長が泣きながら謝ったらもうそれで許してあげる、みたい
> なところが日本文化にはありますからね。この方法はけっこう有効です。

緑十字の記者会見で役員一同がそろってアタマ下げた一件以来この方法は戦術としては成立しなくなっていますが、なにか。

# ありり、どこぞの証券会社の社長だったっけかな。「社員ちいともわろ
# うないです。悪いのは私です」っつーたのは。あれ、どう思いました?
そういえば、ミドリ十字役員たちの土下座は、まったく心に響きませんでしたねぇ。

この種の危機対応について、田中辰巳氏は「謝・調・原・改・処」(社長限界でしょ)というキーワードを提示しました。説得力とユーモアを備えた優れたフレーズです。出版後すぐ爆発的に普及しましたのでご存知かと思いますが、「謝」はすべてのはじめに(企業の論理を捨てて)消費者の立場に立って謝罪することが、その後の対応をぐっと楽にするという話です。ミドリ十字のように、最後にしぶしぶ謝ってもあんまり意味がないでしょうね。

ちなみに、山一證券の号泣謝罪ですが、当時ぼくが感じたのは、(1)なぜ社長に就任したばかりのこの人が謝っているのだろうという素朴な疑問、(2)ところがそれが一定の有効性を発揮したことへの驚き、でした。日本というのは、俗に言われるとおり、情緒的な社会なんだなぁという印象を新たにした事件でした。

> でも、かりにぼくが青学の学長だったとしたら、まずは事態が少し沈静
> 化するまで待ちますね(3日のエントリー参照)。

だから、それは燃料投下でしかないと (ry
ぼくは、短期的には「炎上」を放置してもかまわないというスタンスです。というより、放置せざるをえないといったほうがいいかもしれません。

大学というのはとにかく意思決定に時間がかかる組織です。田中氏の言う「調・原・改・処」にきちんと答えを出すまでには、少なく見積もっても2ヶ月はかかります。ネットの時間の流れに迅速に対応するのはもともと不可能に近いのです。

> 他にも、公開討論会の設置(事実上の“つるし上げ”ですが)など、い
> ろいろと考えられると思いますよ。

こういうのは、どっち向いてやる行為なんでしょうか。
つか、「事実上の“つるし上げ”」って、言論の自由封殺のもっとも効果的な方法だわなあ。そういうことも考えるわけですね?
言論の自由封殺というのは、誤解ですよ。ただし、ぼくが公開討論会も解決策の一つだと書いた理由は、まさにそう誤解してくれると期待してのことです。

(大学人を含めて)言論に関わる職業に就いている者であれば、場の機能が「事実上の“つるし上げ”」であっても、当人に発言の機会が保証されているかぎり、言論の自由を封殺されたと認識することはないと思います。はたから見ればまるでイジメのように攻撃されようとも、むしろ発言の機会を用意してくれたと思うものです。というのはちょっといいすぎか。しかし、発言の機会が用意されていながら、敵が多いからといって言論の自由が封殺されたと勘違いするような人には、元から公人としての言論を行使する資格がありません。

そして、「どっち向いてやる行為」かと問われれば、全方位を向いてやるものです。

当人に対しては説明責任を果たさせることができるし、情緒的になっている人々に対しては、問題の人物がイジメられているのをみて溜飲を下げてもらうことができる。学生たちには、意見の多様性と、それぞれのディベートの様式を学習してもらうことができる。おまけに、大学としても責任の所在を明確にすることができる。

けっこう、いいこと尽くめですけどね。

匿名一郎:

かなり遅いトラックバックで申し訳ありませんが、一言。


瀬尾氏のブログ発言は個人の意見として扱われておりますが、本当に個人なのでしょうか?

ブログ炎上時に私もアクセスしてみましたが、随所に准教授の肩書き、研究室へのLinkなどが満載でした。


内容云々はあえて発言しませんが、読んだ人は当然大学教員の発言として捕らえられても仕方がないと思いますが。

匿名:

色々と難しい指摘が出てますが、
瀬尾女史の場合は、
「人の悪口を言っちゃダメ」
「弱いものいじめはダメ」
小学校の道徳とか、家庭での躾とかもっと次元の低いところにあると思います。
ですから、学校法人としては対応に困ってるのではないでしょうか?前代未聞、准教授としては稚拙過ぎる発言等々

> 匿名一郎さん

「ブログは大学教員の『業務』か」および「『業務』なのに『私的な言論』とは?」についてもお読みください。

大学教員の仕事は、一般的な会社員のそれとは様々な面で違いがあります。


> 匿名さん

そのへんはおそらく争点になっていないと思いますよ。ほとんどすべての人が同意する内容でしょう。

しかし、たとえ「躾」の問題と思われるようなものであれ、それを表現する自由は保障されるべきです。もちろん、自由には責任もともないますがね。

争点となっているのは、この「自由」を法的、社会的にどこまで認めるべきなのか、そして「責任」とはどのようなものか、ということだと思います。

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2008年04月27日 10:21に投稿されたエントリーのページです。

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