今日は今年度初のオープンキャンパスでした。雨の中足を運んでくれたみなさん、ありがとう。
さて、4月27日以降、大学教員が所属校の外で書いた言論に対して学長が謝罪するのはナンセンスだと主張してきました。今日はちょっとテーマを変えて、大学教員の言論に対して、所属組織が懲戒措置をとることが妥当なのかどうかについて私見を書いておきます。微妙なテーマなのでこれまであえて明言はしてきませんでしたが、どうもバランスを欠いているようなので。
結論を先にいえば、「私立大学ではありうる」という話です。
27日以降のエントリーをお読みになった方の中には、ぼくが学問の自由、言論の自由を不可侵の価値だと考えて青学の学長を批判していると解釈された方もいました。実際のところ、そうとも読める内容だったと思います。でも、分かりにくいとは思いますが、27日のエントリーにコメント欄で回答したとおり、少し話が違うのですね。
(1)私立大学の主たる機能は教育
大学には、教育と研究という2つの機能があります。高度な研究があってはじめて教育も成り立ちますので、両者は不可分の関係にあります。が、あえてどちらが重要かといえば、私立大学は主として学生からの納入金によって経営されていますので、まずは学生対応すなわち教育が本分ということになります。
したがって、もし大学教員の思想、研究、言論が、主たる業務である教育に何らかの障害を及ぼすようなことがあれば、その大学教員は表現の自由に一定の制約を受けざるをえません。具体的には、授業担当を外されたり、インフォーマルな叱責の対象となることはめずらしくありません。
刑法に問われるか、セクハラやアカハラと認定されないかぎり公式に懲戒の対象になることはまずありませんが、非公式には指導が行われているということです。指導に従わない場合は、譴責等の懲戒は免れえないでしょう。瀬尾氏のブログが、「教育に何らかの障害を及ぼ」しているかどうかぼくは承知していません。でも、もしそういう事実があれば、懲戒はありうることですね。
ただし、教育を重視するあまり、学問の自由をないがしろにするような大学は、大学としての魅力を失うことになります。教育を重視しつつ、かつ、最大限に学問の自由を保障するというのがあるべき姿です。
(2)私立大学は「建学の理念」に基づく教育機関
法文上は明記されていないと思いますが、周知の通り、私立大学は建学の精神、建学の理念を実現するための教育機関です。私立大学の存立意義は、建学の理念に基づく教育を実践することであるとすらいわれます。
大学教員の思想、研究、言論が、明白に建学の理念に反する場合、その大学教員は表現の自由に一定の制約を受けざるをえません。のみならず、私立大学はその教員を懲戒の対象とすることができます。就業規則の規定は大学によって違いますが、「本学の教育方針に反した者は懲戒に処す」といった表現が一般的でしょうか。
「大学教員の思想、研究、言論が、明白に建学の理念に反する」ことを証明することはきわめて困難なので、実際にはこれによって処分されるケースはほとんどありません。しかし、瀬尾氏のケースに限っていえば、学長の声明でも言及されている通り、明らかにキリスト教の教義と矛盾する記述がいくつかありますので、何らかの懲戒の対象となることは十分に考えられます。
ただし、くどいようですが、建学の理念を狭義に解釈するあまり、学問の自由をないがしろにするような大学は、大学としての魅力を失うことになります。
(3)私立大学は非営利ではあっても教育事業を遂行する経営体
私立大学は、非営利ではあっても教育事業を遂行する経営体である以上、経営・財務上のリスクを回避しなければなりません。したがって、大学教員の思想、研究、言論が、経営・財務上、無視しえないほどのダメージをもたらしうる場合、私立大学は何らかの対処をとらなければなりません。
その「対処」が懲戒であるかどうかは就業規則によります。というより、たいていの大学は、刑事事件で起訴されないかぎり、こういうケースを懲戒の対象とするような規定を設けてはいないと思います。しかし、大学の品位とイメージを守るために、ひいては在学生と卒業生を守るためには、懲戒にこだわらず、当人に広い意味での責任を取ってもらうということが必要でしょう。
ただし、あくまで「当人に責任を取ってもらう」というのが鍵だとぼくは考えています。27日のエントリーにも書きましたが、大学のイメージ低下を防ぎたいという経営判断から、学長が安易に謝罪してしまうというのは愚かなことだと思います。記者会見に同席させる、公開討論会を開催するなど、「当人に責任を取ってもらう」方法はいろいろと考えられるはずですけどね。
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5月1日のエントリーで、ぼくはこう書きました。
大学の業務であっても、大学当局に編集責任、監督責任があるとはかぎらない。なぜなら、大学にとって広義の「業務」とみなしうる言動であっても、それは教員のプライベートな知的活動から大学が反射的に利益を得ているだけなのかもしれないのだから。今回のエントリーで補足したかったのは、「大学当局に編集責任、監督責任がない大学教員の言論に対して、学長が謝罪するのはおかしい。しかし、大学教員の私的な言論であっても、私立大学の機能や理念に反したとき、私立大学がそれを処分することはおかしくない」ということです。
