<?xml version="1.0" encoding="Shift_JIS"?>
<rss version="2.0">
   <channel>
      <title>えり庵：大学教育ノート</title>
      <link>http://blog.koka.ac.jp/mt_open/users/alien/</link>
      <description>《比較文化論と現代社会考。そしてバイクの社会学》</description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2008</copyright>
      <lastBuildDate>Thu, 23 Oct 2008 21:36:21 +0900</lastBuildDate>
      <generator>http://www.sixapart.com/movabletype/</generator>
      <docs>http://blogs.law.harvard.edu/tech/rss</docs> 

            <item>
         <title>閉鎖のお知らせ</title>
         <description>　この1年半ほど、「大学業務としてのブログ」の可能性を探ってきましたが、だいたい状況が分かってきました。結論から言えば、メリットよりもデメリットのほうが大きいですね、日本では。

　加えて、いろいろな事情があって、このブログの継続は事実上不可能になりましたので、本日をもって更新を停止することにいたしました。

　長い間、ご愛読ありがとうございました。
</description>
         <link>http://blog.koka.ac.jp/mt_open/users/alien/2008/10/post_114.html</link>
         <guid>http://blog.koka.ac.jp/mt_open/users/alien/2008/10/post_114.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">このブログ</category>
        
        
         <pubDate>Thu, 23 Oct 2008 21:36:21 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>夏風邪は…</title>
         <description><![CDATA[　前回のエントリーから今日まで何もなかったわけではなく、ずいぶんいろんな出来事がありました。

　中間試験があったり、ゼミ生の教育実習先を訪問したり、そのときバイクのオドメーターが88888kmを達成したり（笑）、髪を切ったり、GPがらみで東京に出張したり。

　そして、ストレスと多忙で体調を壊し、肺炎になりました。まだ治りません…。ずっと血痰でてるし。

　今日の授業どうしよう。


　読後はクリックをお願いします → <a href="http://education.blogmura.com/edu_university/"><img src="http://education.blogmura.com/edu_university/img/edu_university80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 教育ブログ 大学教育へ" /></a>]]></description>
         <link>http://blog.koka.ac.jp/mt_open/users/alien/2008/06/post_112.html</link>
         <guid>http://blog.koka.ac.jp/mt_open/users/alien/2008/06/post_112.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">閑話</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 16 Jun 2008 08:34:10 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>NEETの歌</title>
         <description><![CDATA[　今日は<a href="http://blog.koka.ac.jp/mt_open/users/alien/2007/05/post_37.html">保護者懇談会</a>のために大学に来ています。

　さて、今年は卒業論文で「NEET概念の社会的構築」について扱う学生がいます。イギリスで提唱された「NEET」という言葉が日本に輸入されるとき、どのように意味の変質が生じたか、というテーマです。

　この問題を追究していくためには、サッチャー時代のイギリスについても詳しく知る必要があるのですね。

　で、その時代の文芸や映画などについてどれくらい知っているか確かめようと思って、ふと<a href="http://blog.koka.ac.jp/mt_open/users/alien/2007/08/post_56.html">この歌</a>のことを思い出して聞いてみました。

　「ケイト・ブッシュって知ってる？」
　「知りません」

　あっさり撃沈。テレビ番組「恋のから騒ぎ」のオープニングテーマ曲の歌手っていえばよかったのかな。

　ともかく、Peter Gabriel＆Kate Bushの"Don't Give Uｐ"は、サッチャーリズムの構造改革が吹き荒れるイギリスで、失業からNEET化しつつある労働者のことを歌った名曲です。いわばNEETの応援歌とでもいうべきもの。ところが、失業の挫折に苦悩する主人公は、日本における「ニート」のイメージとはまったく違います。

　ま、次は<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/B000BTCNG4/">映画『リトル・ダンサー』</a>でも紹介してみましょうかね。


　読後はクリックをお願いします → <a href="http://education.blogmura.com/edu_university/"><img src="http://education.blogmura.com/edu_university/img/edu_university80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 教育ブログ 大学教育へ" /></a>]]></description>
         <link>http://blog.koka.ac.jp/mt_open/users/alien/2008/06/neet.html</link>
         <guid>http://blog.koka.ac.jp/mt_open/users/alien/2008/06/neet.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">研究</category>
        
        
         <pubDate>Sun, 01 Jun 2008 10:50:37 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>機械がすき</title>
         <description><![CDATA[　ようやく愛車が車検から戻ってきました。二週間以上もお気楽マシン（F650GS）に乗っていましたので、「こんなに難しいノリモノだったっけ」という感覚がまだ抜け切れません。でも、やっぱり自分のバイクはいいものです。愛着がある。

　ところで、もう5年ほど前の話になりますが、ぼくがPDAを持ち歩いているところを見て、臨床心理のＩ先生が話しかけてきました。

<table width="100%" border="0"><tr valign="top"><td valign="top"><strong>Ｉ先生</strong></td><td valign="top">bruinさんはそういうのが好きね。前も携帯電話で会議のメモをとってたでしょ。</td></tr><tr valign="top"><td valign="top"><strong>bruin</strong></td><td valign="top">特別好きってわけじゃないですけど、ぼくは忘れっぽいから電子メディアに管理してもらわないとダメなんですよ。</td></tr><tr valign="top"><td valign="top"><strong>Ｉ先生</strong></td><td valign="top">好きなのね？</td></tr><tr valign="top"><td valign="top"><strong>bruin</strong></td><td valign="top">いや、好きというか、携帯なんかどうせ持ち歩くならスケジュール管理をかねたほうが便利だし／</td></tr><tr valign="top"><td valign="top"><strong>Ｉ先生</strong></td><td valign="top">好きなのね？</td></tr><tr valign="top"><td valign="top"><strong>bruin</strong></td><td valign="top">いやいや、PDAは来年アメリカに行ったとき迷わないようにGPSつきの機種で／</td></tr><tr valign="top"><td valign="top"><strong>Ｉ先生</strong></td><td valign="top">好・き・な・の・ね？！</td></tr><tr valign="top"><td valign="top"><strong>bruin</strong></td><td valign="top">…はい orz</td></tr></table>

　いや、さすがは臨床家というべきか、ひとたび認めてしまうと、「そういえば好きなんだな」と公平に評価できるようになったりします。（ホントか？）

　<a href="http://blog.koka.ac.jp/mt_open/users/alien/2008/04/bmw.html">前にも書きました</a>が、今回の車検では、研究用途をかねて、ZUMO550（パーソナルナビ）とFTM-10S（無線機）を付けてもらいました。どちらも最初は自分で作業するつもりでしたが、「1万円でいい」という話だったのでディーラーに取り付けをお願いしました。ケーブルなんか、さすがにキレイにとり回ししてくれています。

　これがねー、うれしいんですよ。モノ自体にけっこうワクワクしてしまうんです。新品のミニカーにドキドキした子どものころから変わってないんだなと実感しますね。

　読後はクリックをお願いします　→　<a href="http://bike.blogmura.com/"><img src="http://bike.blogmura.com/img/bike80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 バイクブログへ" /></a>]]></description>
         <link>http://blog.koka.ac.jp/mt_open/users/alien/2008/05/post_113.html</link>
         <guid>http://blog.koka.ac.jp/mt_open/users/alien/2008/05/post_113.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">バイク</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 26 May 2008 17:57:00 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>雑誌記事の不思議</title>
         <description><![CDATA[　車検＋αのために愛車をディーラーに預けて2週間あまりがたちました。代車はいつもの通りF650GSです。

　フルモデルチェンジしてしまいましたが、旧F650GSはいいバイクですよ。軽いし、フラットなトルクで扱いやすいし、適度に反応がノロいので原付並みにアクセルを開けられるし（笑）、なのに4千回転以上まで回してあげるとちゃんと気持ちよく走ってくれるし。車体の重量バランスもいいです。200kgを切ってますからね、スタンディング・スティルである程度がんばれてしまいます。ぐらついても両足がべったりつきますし。とにかく素直なヤツです。

　ところが、BMWのバイクをテーマにしている雑誌では、繰り返し繰り返し、「ビッグシングル（単気筒）なので低速がニガテ」と評価されてきました。いったい、どんなバイクと比べて「低速がニガテ」といっているのかぼくにはわかりません。

　なぜなら、まずエンジンの粘りについていえば、旧F650GSは低回転でも粘ってくれます。1500回転以下でも十分に実用に足ります。トルク不足でエンジン音が変わるようなときでも、エンストしそうな気配がありません。また、操作性についていえば、軽いので極低速でややふらつくきらいもありますが、逆に軽いおかげで修正も容易です。

　一方、ぼくの愛車であるR1150GSは、とにかく低速がニガテです。GSにかぎらず、Rシリーズは全般的に低回転での粘りがありません。2000回転を下回るとエンジンが不安げな音をあげはじめ、スロットル操作がいーかげんだとすぐにエンストします。多気筒バイクに慣れたライダーは、最初だいたいエンストさせてしまいますね。しかも、2気筒なので多気筒エンジンに比べて低速でふらつきます。そして、ふらついたとき、車体が重たいので修正も大変です。

　にもかかわらず、やはりBMWのバイクをテーマにしている雑誌では、繰り返し繰り返し、「水平対抗エンジンなので低速でも安定している」と評価し続けてきました。最近になってようやく「じつは低速がニガテ」という記述をちらほらと見かけるようになってきましたが、大方の論調は今でもやはり「低速でも安定している」というものです。

　いや、たしかに、低速でも安定しているといえないことはありません。回転数をしっかり上げてやっておけばね。回転をあげてもスピードが出すぎないように、リアブレーキを引きずるか、半クラッチを使わなければなりませんが。

　けどね、そこまでムリをしないとエンストしたりふらふらしてしまうようなバイクを「低速で安定している」などと持ち上げておきながら、なぜ、F650GSを「低速がニガテ」などとナンセンスな貶し方をしてしまうのか。まったく不思議でしょうがない。

　もしかして、Rシリーズは「（超低速はすっごいニガテだけど）低速で（なら）安定」している、という意味か？

　読後はちょいと一手間クリックをお願いします　→　<a href="http://bike.blogmura.com/"><img src="http://bike.blogmura.com/img/bike80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 バイクブログへ" /></a>]]></description>
         <link>http://blog.koka.ac.jp/mt_open/users/alien/2008/05/post_111.html</link>
         <guid>http://blog.koka.ac.jp/mt_open/users/alien/2008/05/post_111.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">バイク</category>
        
        
         <pubDate>Sun, 25 May 2008 01:13:23 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>すべてを二分法に回収する不気味</title>
         <description><![CDATA[　「炎上」騒動の何がキモチワルイかというと、騒動をめぐるすべての言説が「擁護派／抗議派」という乱暴な二分法に回収されてしまうことですね。<a href="http://blog.koka.ac.jp/mt_open/users/alien/2008/05/post_104.html">「ネットの『炎上』と偏見の形成」</a>というエントリーでも間接的に触れましたが、ひとたび「炎上」するや、あらゆる言説を「擁護派／抗議派」という二分法に位置づける推論構造が言論空間を支配していく。そして、偏見によって捻じ曲げられたストーリーが多数派の認知を支配し、「事実」として語られていく。

　騒動に参加する者たちは、それがファシズムの原初的形態であるとは学ばなかったようです。

　今回の瀬尾氏のブログをめぐる騒動についても、容易には回答を出せない論点が多数含まれています。憲法規定（表現の自由）と市民社会の正義の矛盾、市民社会と大学との間の経済的共生と道義的対立の矛盾、経営リスクと学問の自由の矛盾、あるべき大学像と教員の資質の矛盾、等々。本来なら、論者が一定の結論に到達するときにもさまざまな限定条件や留保条件がつけられるべきテーマです。

　それが、言説が流布されたとたんに限定条件や留保条件が取り去られ、「擁護論／反論」と単純化され、もはや元のロジックの原形をとどめない状態に捻じ曲げられたうえで、気分まかせの乱雑な憂さ晴らしの材料として消費されてしまう。

　例えば、apj氏の<a href="http://www.cm.kj.yamagata-u.ac.jp/blog/index.php?logid=9350">「大学教員が発信した情報の責任は教員個人が負うべきである」</a>という論考の、いったいどこをどう読めば瀬尾氏の擁護論と解釈できるというのか。

　不思議を通り越して、不気味としかいいようがない。

　ネットの世論は、必要に応じて主体的な市民が討議を交わし、複雑な問題についても“新たな理解”へと導く「創発民主制」の可能性を秘めています。その反面、気分まかせで情緒的な言説を垂れ流しあえば「創発ファシズム」を招来する危険性もあります。

　表現の自由は、ファシズムを強く反省するところから重要性が認められてきたということを、今一度、肝に銘じたいものです。

　クリックをお願いします → <a href="http://education.blogmura.com/edu_university/"><img src="http://education.blogmura.com/edu_university/img/edu_university80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 教育ブログ 大学教育へ" /></a>]]></description>
         <link>http://blog.koka.ac.jp/mt_open/users/alien/2008/05/post_110.html</link>
         <guid>http://blog.koka.ac.jp/mt_open/users/alien/2008/05/post_110.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">教育</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 19 May 2008 11:46:48 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>車種による乗車姿勢の違い</title>
         <description><![CDATA[　今日はひさしぶりにオートバイの話です。

　先日、ふと気になって、オートバイの車種ごとに乗車姿勢がどのように違うかを解説したウェブサイトがどれくらいあるのか、少しだけ調べてみました。2時間ほど探して、ごく簡単な記述があるページを2つほど見つけることはできましたが、詳しく解説してあるページは一つもありませんでした。

　まぁ、バイクの乗り方なんて、読んだだけでは分かりませんからね。実際にまたがって、運転してみて、その合理性を納得できないかぎり、「こうやって乗るものだ」といわれたところで、実践してみようという気にはならないでしょう。

　とはいえ、自転車については、ロードバイクとオフロードバイクの乗車姿勢や乗り方の違いを丁寧に解説したウェブページが多数あります。他のスポーツだって、入門者向けにその種の情報を提供するサイトは少なくありません。それに対して、オートバイははるかにユーザーが多いにもかかわらず、なぜもっとも基本的な乗車姿勢についての解説ページがないのか、ちょっと興味深いところです。

　ともかく、乗車姿勢からいえば、オートバイは3つのカテゴリーに大別することができます。（1）オンロードバイク、（2）オフロードバイク、（3）クルーザー（アメリカン）やスクーター。教習所では教えてくれませんが、この3者はバイクの性質が大きく異なりますので、乗車姿勢や乗り方にもいろいろと違いがあります。

　たとえば、オンロードバイクとオフロードバイクの乗車姿勢を比較すると、だいたい下の表のようになるでしょうか。個々人の好みによるところも大きいので、これが唯一の正解ということではなく、基本姿勢の平均的な状態を描写したものだとお考えください。

<table width="100%" border="2"><tr><td>&nbsp;</td><td colspan="2" align="center">相違点</td><td rowspan="2" align="center">解説</td></tr><tr><td>&nbsp;</td><td align="center">オン</td><td align="center">オフ</td></tr><tr><td><Div Style="writing-mode:tb-rl;">グリップ</div></td><td>手首はまっすぐにし、軽く卵を握るようにグリップをつかむ</td><td>手首はまっすぐにし、薬指と小指はしっかり握る。薬指と小指はレバーを操作するときもグリップから離さない</td><td>オフでは激しく車体が揺られるし、積極的にハンドルをつかって操作することが多いので、しっかりハンドルを握る。ただしすべての指に力を入れると腕まで動きが硬くなってしまうので、薬指と小指だけでぎゅっと握るようにする。</td></tr><tr><td><Div Style="writing-mode:tb-rl;">上体</div></td><td>自然な姿勢のまま、上体だけ前傾する</td><td>びしっと背筋を伸ばして垂直に上体を立てる</td><td>運転中に上体を柔軟に動かしてバランスを取ることは共通しているが、オフでは前後左右上下に車体が振られるので、オンよりも上体の自由度を高めておく必要がある。</td></tr><tr><td><Div Style="writing-mode:tb-rl;">腕</div></td><td>上腕以外は力を抜いて45度くらいワキを開く</td><td>地面と水平になるくらいワキを90度開く</td><td>どちらもワキはしめずヒジは外を向けるが、オフでは激しく左右にハンドルが振られたときヒジが体にぶつからないように、あらかじめ高く上げておく。</td></tr><tr><td><Div Style="writing-mode:tb-rl;">尻</div></td><td>一度ステップに立ってから自然とシートに腰を下ろす</td><td>タンクに股間がつきそうなくらい前乗りする</td><td>前後左右に柔軟に腰を動かしてバランスを取ることは共通しているが、オフでは前輪の加重不足が挙動を不安定にする場面が多いので、できるだけ前加重にする。後加重にするとき体を大きく動かせるメリットもある。</td></tr><tr><td><Div Style="writing-mode:tb-rl;">ヒザ</div></td><td>腿全体でタンクを軽くホールド（ニーグリップ）</td><td>ヒザで自由にバランスを取れるようにタンクからは離しておく</td><td>オフでは激しく車体が揺られるので、ニーグリップしていると体まで一緒に揺れてしまう。車体を股下で遊ばせることで激しい挙動を吸収する。オンでもハイサイドのときは同じ。</td></tr><tr><td><Div Style="writing-mode:tb-rl;">かかと</div></td><td>ステップから少し後ろに引いて車体をホールド</td><td>ステップから少し後ろに引いて車体をがっちりホールド</td><td>ロール方向の動きを制御するために、かかとでしっかり車体をホールドすることは共通している。ただし、ニーグリップしない分、オフのほうがよりしっかりとホールドする必要がある。</td></tr><tr><td><Div Style="writing-mode:tb-rl;">つま先</div></td><td>外に開かずまっすぐ前を向けてペダルの上に置く</td><td>角度は外に開いてもいいけど、ペダルの下に置く</td><td>オンでヒザとつま先が外に開くスタイルは「族乗り」と呼ばれて蔑まれる。というより上手に曲がれない。また、ペダルの下につま先を置いていると、バンク角が大きくなったとき地面に挟まれて怪我をする。<br>オフでは、ブーツを履いていると足首が曲がらないので、つま先をペダルの上には置けない。ブレーキやシフトチェンジは、脚全体を動かして操作する。</td></tr></table>

　上の表は、オンロードバイクでオンロード（舗装道路）を走行するときと、オフロードバイクでオフロード（非舗装道路）を走行するときの乗車姿勢の違いを比較したものです。他にも、乗車姿勢だけでなく操縦方法にもいろいろな違いがありますので、機会があればまた後日書いてみたいと思います。

　上の表について面白いのは、オフロードバイクでオンロードを走行するときにはどうなるのか？ということです。答えは、多くのオフローダーはオンロードでも上記の姿勢で走っているのですね。

　確かに、オフロードバイクは、ハンドルの幅が広いし、ハンドルの位置も高めです。車体の重量バランスからいっても、前乗りすると操縦しやすい作りになっています。だから、オンロードでオフと同じ姿勢をとっても不思議ではありません。

　とはいえ、上記の姿勢はかならずしも“楽”なものではないのです。なにせ、両足のペダル操作は、足首だけではなく脚全体を上下しなければなりませんし、両ヒジを高く上げておくのも疲れます。しかも、（タイヤのグリップさえ信頼できるのであれば）やはりオンロードはオンロードに向いた走り方というものがあるわけでして、オフの姿勢のままというのは必ずしも合理的とはいえません。

　にもかかわらず、オンロードでもオフロードと同じ姿勢で走行するのは、これはもう「スタイル」としかいいようがありません。あるいは「文化」ですね。

　走行時の衣服も、ただ舗装道路を走るだけなのに、オフロード用のヘルメットにゴーグル、モトクロス用のジャージ、オフロード用のブーツという装備でガチガチに決めている人もめずらしくありません。特に、オフ用のブーツなんて、重いし蒸れるし歩きにくいし、日常使いではいいところないんですけどね。（小柄な女性が履いていると、なぜかちょっと萌えたりしますが、それはそれとして）

　クルーザー乗りがヘルズ・エンジェルズ由来の<a href="http://blog.koka.ac.jp/mt_open/users/alien/2007/05/post_18.html">“ちょいワル”スタイルを消費する</a>ように、オフローダーは非舗装路に分け入っていく“アウトドア”スタイルを消費しているということでしょうか。

　オートバイは、単なる移動手段ではなく、文化を伝えるメディアでもあるのですね。

　ちょいと一手間クリックをお願いします　→　<a href="http://bike.blogmura.com/"><img src="http://bike.blogmura.com/img/bike80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 バイクブログへ" /></a>]]></description>
         <link>http://blog.koka.ac.jp/mt_open/users/alien/2008/05/post_107.html</link>
         <guid>http://blog.koka.ac.jp/mt_open/users/alien/2008/05/post_107.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">バイク</category>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">研究</category>
        
        
         <pubDate>Sun, 18 May 2008 17:01:54 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>「反社会的」かどうかは恣意的なもの</title>
         <description><![CDATA[　良くも悪くも、瀬尾氏のブログに起因する騒動はひとまずほぼ鎮静化したようです。やっぱり、組織的な受け皿のない情緒的な運動は長続きしませんね。マスメディアが加担すればもっと長引いたと思いますが、個人の集積にすぎないネットが運動の母体であるかぎり、せいぜい1ヶ月が限度というところでしょうか。

　さて、ある言動が「反社会的」だからという理由で非難されることはめずらしくありません。刑法に触れるような行動はもちろん、カルトなどはたとえ違法な行為を行っていなくとも「反社会的」な存在だとして批判されることがあります。瀬尾氏のケースのように、ブログの記述が倫理的に逸脱しているということで「反社会的」だと抗議される場合もあります。

　では、「反社会的」とはどういうことを指すのか？

　じつは、言動の性質自体から「反社会的」であるかどうかを確定するための客観的な定義は、この世に存在しません。概念的には定義できないわけではないのですが、あまりにもあいまいで流動的な要素を含んでいるため、操作的には定義できないのです。例えば『新明解国語辞典』（三省堂）にはこう書かれています。<blockquote><strong>はんしゃかいてき（ハンシャクワイテキ）【反社会的】</strong><br>その社会の法秩序にあえて反抗したり道徳上の社会通念を故意に無視したりする言動をとることによって、社会の他の成員にまで好ましくない影響を与える様子。</blockquote>　ここでいう「法秩序」や「道徳上の社会通念」というのは、社会によっても、時代によっても変化します。しかも、人によっても判断が分かれますので、いつでもどこでも誰にでも通用する「これが反社会的な言動だ」という基準は、存在しないわけです。

　社会によって基準が違うというのは、例えば、東京都知事が「中国人はDNAレベルで残虐」というコラムを新聞に書いた件ですが、ヨーロッパであれば即、政治生命が終わるほどの大きな問題発言です。国によっては確実に刑法に問われるたぐいのものでしたが、日本ではごく小規模な抗議があっただけでした。

　また、時代によって基準が変化するというのは、例えば、2003年時点で<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9#.E6.94.BF.E6.B2.BB.E7.9A.84.E3.81.AA.E8.AB.96.E4.BA.89">ディクシー・チックス</a>が「テキサスから大統領がでたことを恥ずかしく思う」とイラク侵攻を批判したことは、当時のアメリカ社会においてきわめて「反社会的な発言」だったため、様々な迫害にあい、微妙な謝罪に追い込まれました。しかし、2006年時点にはすでに「勇気ある発言」が賞賛されるようになっており、2007年にはグラミー賞の関連部門を制覇しました。これは、音楽活動だけでなく、政治的な活動を評価されてのことだというのが一般的な解釈です。

　ただし、定義できないといっても、もちろん、「反社会的」な言動がこの世に存在しないという意味ではありません。

　社会には規範というものがあります。それに反する言動に対しては何らかの負のサンクション（制裁、罰）が作用します。破った規範の性質によっては、嫌味をいわれるといった軽いサンクションを受けるだけのこともあります。それに対して、重大なタブーに触れたりすれば、極刑を受けたり村八分にあったりという非常に重いサンクションが及ぶこともあります。そういう重い負のサンクションの対象となるような言動に対して、一般に「反社会的」というレッテルが貼られます。

　つまり、「反社会的」かどうかを決めるのは、問題とされた言動の性質ではありません。その言動をめぐる社会の価値判断（規範）が「反社会的」かどうかを決めるのです。「反社会的な言動」というものが客観的に存在するわけではなく、社会の構成員の大勢が「反社会的な言動」だとみなせば、それが「反社会的な言動」になってしまうということです。

　だからこそ、何らかの出来事に対して、ネットで世論を醸成する運動にも意味がある。社会の構成員の大勢を納得させられれば、負のサンクションを発動できるわけですから。Joi Ito氏がいう<a href="http://en.wikipedia.org/wiki/Emergent_democracy">Emergent Democracy</a>は、こういう運動の理想的側面に注目した概念ですね（伊藤譲一<a href="http://www.glocom.ac.jp/odp/library/75_02.pdf">「創発民主制」</a>）。

　ただ、1990年代以降、日本において実際にネットの運動が奏功したケースを見ると、そのほとんどは「創発民主制」というより「<a href="http://www.amazon.co.jp/%E6%8E%92%E9%99%A4%E5%9E%8B%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E2%80%95%E5%BE%8C%E6%9C%9F%E8%BF%91%E4%BB%A3%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E7%8A%AF%E7%BD%AA%E3%83%BB%E9%9B%87%E7%94%A8%E3%83%BB%E5%B7%AE%E7%95%B0-%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%A4%E3%83%B3%E3%82%B0/dp/4903127044">排除型社会</a>」を象徴するものばかりでした。包摂より排除が、許容より不寛容が、多様性より画一性が、日本のネットを支配している。

　せめて大学だけは、こういう息苦しい社会潮流から遊離した側面を捨てずにいてほしいと強く願うばかりです。

P.S.

　誤解されるといけないので補足しておきますが、今回のエントリーには、瀬尾氏への抗議を批判する意図はいっさいありません。あえていうなら、そのことが分からない方を批判する意図はこめましたが。

　今回のエントリーに納得されたらクリックをお願いします → <a href="http://education.blogmura.com/edu_university/"><img src="http://education.blogmura.com/edu_university/img/edu_university80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 教育ブログ 大学教育へ" /></a>
]]></description>
         <link>http://blog.koka.ac.jp/mt_open/users/alien/2008/05/post_108.html</link>
         <guid>http://blog.koka.ac.jp/mt_open/users/alien/2008/05/post_108.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">教育</category>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">研究</category>
        
        
         <pubDate>Wed, 14 May 2008 11:35:07 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>「私的活動」で「懲戒」はありか？</title>
         <description><![CDATA[　今日は今年度初のオープンキャンパスでした。雨の中足を運んでくれたみなさん、ありがとう。

　さて、4月27日以降、大学教員が所属校の外で書いた言論に対して学長が謝罪するのはナンセンスだと主張してきました。今日はちょっとテーマを変えて、大学教員の言論に対して、所属組織が懲戒措置をとることが妥当なのかどうかについて私見を書いておきます。微妙なテーマなのでこれまであえて明言はしてきませんでしたが、どうもバランスを欠いているようなので。

　結論を先にいえば、「私立大学ではありうる」という話です。

　27日以降のエントリーをお読みになった方の中には、ぼくが学問の自由、言論の自由を不可侵の価値だと考えて青学の学長を批判していると解釈された方もいました。実際のところ、そうとも読める内容だったと思います。でも、分かりにくいとは思いますが、27日のエントリーにコメント欄で回答したとおり、少し話が違うのですね。

（1）私立大学の主たる機能は教育

　大学には、教育と研究という2つの機能があります。高度な研究があってはじめて教育も成り立ちますので、両者は不可分の関係にあります。が、あえてどちらが重要かといえば、私立大学は主として学生からの納入金によって経営されていますので、まずは学生対応すなわち教育が本分ということになります。

　したがって、もし大学教員の思想、研究、言論が、主たる業務である教育に何らかの障害を及ぼすようなことがあれば、その大学教員は表現の自由に一定の制約を受けざるをえません。具体的には、授業担当を外されたり、インフォーマルな叱責の対象となることはめずらしくありません。

　刑法に問われるか、セクハラやアカハラと認定されないかぎり公式に懲戒の対象になることはまずありませんが、非公式には指導が行われているということです。指導に従わない場合は、譴責等の懲戒は免れえないでしょう。瀬尾氏のブログが、「教育に何らかの障害を及ぼ」しているかどうかぼくは承知していません。でも、もしそういう事実があれば、懲戒はありうることですね。

　ただし、教育を重視するあまり、学問の自由をないがしろにするような大学は、大学としての魅力を失うことになります。教育を重視しつつ、かつ、最大限に学問の自由を保障するというのがあるべき姿です。

（2）私立大学は「建学の理念」に基づく教育機関

　法文上は明記されていないと思いますが、周知の通り、私立大学は建学の精神、建学の理念を実現するための教育機関です。私立大学の存立意義は、建学の理念に基づく教育を実践することであるとすらいわれます。

　大学教員の思想、研究、言論が、明白に建学の理念に反する場合、その大学教員は表現の自由に一定の制約を受けざるをえません。のみならず、私立大学はその教員を懲戒の対象とすることができます。就業規則の規定は大学によって違いますが、「本学の教育方針に反した者は懲戒に処す」といった表現が一般的でしょうか。

　「大学教員の思想、研究、言論が、明白に建学の理念に反する」ことを証明することはきわめて困難なので、実際にはこれによって処分されるケースはほとんどありません。しかし、瀬尾氏のケースに限っていえば、<a href="http://www.aoyama.ac.jp/news/256.pdf">学長の声明</a>でも言及されている通り、明らかにキリスト教の教義と矛盾する記述がいくつかありますので、何らかの懲戒の対象となることは十分に考えられます。

　ただし、くどいようですが、建学の理念を狭義に解釈するあまり、学問の自由をないがしろにするような大学は、大学としての魅力を失うことになります。

（3）私立大学は非営利ではあっても教育事業を遂行する経営体

　私立大学は、非営利ではあっても教育事業を遂行する経営体である以上、経営・財務上のリスクを回避しなければなりません。したがって、大学教員の思想、研究、言論が、経営・財務上、無視しえないほどのダメージをもたらしうる場合、私立大学は何らかの対処をとらなければなりません。

　その「対処」が懲戒であるかどうかは就業規則によります。というより、たいていの大学は、刑事事件で起訴されないかぎり、こういうケースを懲戒の対象とするような規定を設けてはいないと思います。しかし、大学の品位とイメージを守るために、ひいては在学生と卒業生を守るためには、懲戒にこだわらず、当人に広い意味での責任を取ってもらうということが必要でしょう。

　ただし、あくまで「当人に責任を取ってもらう」というのが鍵だとぼくは考えています。<a href="http://blog.koka.ac.jp/mt_open/users/alien/2008/04/post_100.html">27日のエントリー</a>にも書きましたが、大学のイメージ低下を防ぎたいという経営判断から、学長が安易に謝罪してしまうというのは愚かなことだと思います。記者会見に同席させる、公開討論会を開催するなど、「当人に責任を取ってもらう」方法はいろいろと考えられるはずですけどね。

*******

　<a href="http://blog.koka.ac.jp/mt_open/users/alien/2008/05/post_102.html">5月1日のエントリー</a>で、ぼくはこう書きました。<blockquote>大学の業務であっても、大学当局に編集責任、監督責任があるとはかぎらない。なぜなら、大学にとって広義の「業務」とみなしうる言動であっても、それは教員のプライベートな知的活動から大学が反射的に利益を得ているだけなのかもしれないのだから。</blockquote>　今回のエントリーで補足したかったのは、「大学当局に編集責任、監督責任がない大学教員の言論に対して、学長が謝罪するのはおかしい。しかし、大学教員の私的な言論であっても、私立大学の機能や理念に反したとき、私立大学がそれを処分することはおかしくない」ということです。

　今回のエントリーに納得されたらクリックをお願いします → <a href="http://education.blogmura.com/edu_university/"><img src="http://education.blogmura.com/edu_university/img/edu_university80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 教育ブログ 大学教育へ" /></a>]]></description>
         <link>http://blog.koka.ac.jp/mt_open/users/alien/2008/05/post_106.html</link>
         <guid>http://blog.koka.ac.jp/mt_open/users/alien/2008/05/post_106.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">教育</category>
        
        
         <pubDate>Sat, 10 May 2008 11:42:32 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>連休中のアクセス</title>
         <description><![CDATA[　<a href="http://blog.koka.ac.jp/mt_open/users/alien/2008/04/post_100.html">27日のエントリー</a>が話題のサイトにリンクされたため、連休中は普段の5倍以上のアクセスがありました。ただ、せっかく来てくれたのなら他のページも読んでいってくれたらいいのですが、びっくりするぐらい直帰率が高いんですよね。その後、フォローアップのエントリーを3回も書きましたが、あんまり意味はなかったようです。まぁいいけど。

　まだ連休の疲れが抜けきっていませんが、今日は学科の歓送迎会です。

　もしよかったら、ほんのひと手間↓クリックをお願いします。

　<a href="http://education.blogmura.com/edu_university/"><img src="http://education.blogmura.com/edu_university/img/edu_university80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 教育ブログ 大学教育へ" /></a>]]></description>
         <link>http://blog.koka.ac.jp/mt_open/users/alien/2008/05/post_105.html</link>
         <guid>http://blog.koka.ac.jp/mt_open/users/alien/2008/05/post_105.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">閑話</category>
        
        
         <pubDate>Wed, 07 May 2008 15:25:46 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>ネットの「炎上」と偏見の形成</title>
         <description><![CDATA[　家族が風邪を引いたので、連休なのにヒマです。

　ネットの一部ではまだ瀬尾氏への憤りがくすぶっているようですが、さしあたってこのブログへのアクセスについては平常化したようです。まぁ、もともとコメントが承認制であるせいか、実名を出していないせいか、実質的にはまったく影響はありませんでしたが。

　さて、最近は「炎上」と表現することが多いようですが、特定の個人や企業のサイトを対象とした言説が、ネット内で局所的に活性化することがあります。

　90年代は思想的な理由による攻撃が多かったのに対して、2000年代に入ってからは個人の逸脱的な行為が槍玉にあがることが増えているなど、理由は一様ではありません。「炎上」に参加する人々の動機も、純粋に義憤を感じてキーボードをたたく人もいれば、世論形成に参加できるという自己効用感に後押しされる人、ただお祭り騒ぎに便乗したいだけ人など様々です。また、話題性のあるブログの記述に対して自生的にコメントが沸騰することもあれば、2chやJ-CASTニュースによっていわば人為的に騒ぎが拡大されることもあるなど、発生の形態もいろいろとあります。

　でも、ひとたび「炎上」したときの様態には各種の共通点が見られます。その一つは、偏見の形成ですね。詳しい説明は省きますが、偏見の形成をともなわない「炎上」はありません。なぜなら、偏見の形成は、「炎上」の結果であると同時に、「炎上」が拡大するための必要条件でもあるからです。

　偏見は、単なる誤解とは違います。ただの誤解であれば、反証する事実を知れば解消します。しかし、偏見は事実に基づいて形成されるものでなく、情動的側面が強いため、たとえ明確に反証する事実を突きつけてもなかなか修正されません。

　例えば、「女は無能だ」と思っている男性がいるとします。自分よりも有能な女性が同じ職場にやってきたとき、ただの誤解であれば「すべての女が無能なわけではないんだな」と認識が修正されます。しかし、偏見であれば、事実を捻じ曲げてでも――「あれは実力ではなく身体を使って仕事を取ってきているんだ」と思い込むとか――反証を受け入れようとはしません。

　そして、偏見は同調によって伝染します。とくに「炎上」中の言論空間では、関心や怒りを共有する人々の間で爆発的に感染が広がります。

　そうなってしまうと、もうどんなに理性的に反論しようとしても、もう意味がありません。偏見によって捻じ曲げられたストーリーが多数派の認知を支配し、「事実」として語られていきます。反証する事実を突きつけたところで、聞き入れられる状態ではなくなっています。もはや、言論で騒動を鎮静化させることは困難です。

　では、どうすればよいのか？　一般には2つの対策がとられています。

（1）沈静化するまで放置する

　情動は組織的な受け皿がないかぎり持続しません。何らかの組織が背後にいないのであれば、通常2週間、せいぜい一ヶ月もあれば沈静化します。それまで待ってから、周到に反論したり、イメージを改善したりするための戦略に着手するということですね。

（2）情動には情動で対応する

　もちろん、情緒的に反論するということではありませんよ。それでは火に油を注ぐだけ。そうではなく、情緒に訴えかけるように謝ってしまうということです。とにかく早期に情動を沈静化させるだけのために、謝ってしまう。

　ネットの「炎上」とは違いますが、社員が就業時間外に起こした不祥事に対して、社長が泣きながら謝ったらもうそれで許してあげる、みたいなところが日本文化にはありますからね。この方法はけっこう有効です。

　ただし、「社員の私生活に社長が責任を持つのか？」という理性的な疑問を、ひとまず棄ててしまう必要はありますが。

　1と2のどちらを採用するかは組織の哲学しだいでしょう。でも、大学なら、1をとるか、第3の対応策を考え出すか、いずれにせよ安易に2を選択するのはやめてほしいものです。

　読後は↓クリックをお願いします。

　<a href="http://education.blogmura.com/edu_university/"><img src="http://education.blogmura.com/edu_university/img/edu_university80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 教育ブログ 大学教育へ" /></a>]]></description>
         <link>http://blog.koka.ac.jp/mt_open/users/alien/2008/05/post_104.html</link>
         <guid>http://blog.koka.ac.jp/mt_open/users/alien/2008/05/post_104.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">閑話</category>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">研究</category>
        
        
         <pubDate>Sat, 03 May 2008 16:30:04 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>「業務」なのに「私的な言論」とは？</title>
         <description><![CDATA[　昨日のエントリーは、「瀬尾氏のブログは教育目的を含むものであるため、たとえ私的な見解を綴ったものだとしても、大学の業務の一環とみなすこともできる」というものでした。

　読みながら、何かおかしいなと思った方も少なくないと思います。組織の「業務」なのに「私的な言論」とはこれいかに？　というのが一般的な感覚でしょう。

　たしかに、一般の社会通念からいえば、会社の業務で私的な言論を公表するというのは考えにくい。会社の業務であれば、すべては会社を代表しての言動ということになりますからね。そのため、部下は上司の監督に服さなければなりません。部下のミスは、監督責任をもつ上司が謝ってオトシマエをつけるということも慣習的に行われています。

　青学の学長が謝罪したことを当然視する人たちも、同じ論理ですね。（A）瀬尾氏のブログは教育目的を兼ねていたのだから、大学の業務の一端だといえる。（B）大学の業務であれば、大学当局に編集責任、監督責任がある。（C）大学教員が問題を起こせば、監督責任不行き届きということで学長が謝罪するのは当然だ、と。

　でも、大学と一般の企業では、ずいぶん話が違います。

　多くの大学では、そもそも学長や学部長に、教員の業務内容を監督する権限が明確には規定されていません。学長や学部長は「上司」ではないのです。合議機関（教授会など）の「議長」にすぎません。

　それで困ることも多々ありますので、監督権限を規定に明記する大学も増えてきています。しかし、その場合でも、教員の業務は高度に専門的ですし、広範な自由裁量が含まれているため、実質的には監督権限を行使することは不可能に近いのです。監督・指導することが可能なときでも、やはり、学問の自由を尊重する立場から、権限の行使は容易ではありません。

　しかも、学問の自由とは別に、もっとリアルな問題もたくさんあります。今回はその一つを紹介したいと思います。

　授業を例に取りましょう。昨日のエントリーの表でいえば、13〜25が授業に関連する業務です。このうち不可欠な業務だとされているのは、17、18、20、22、23の5つだけで、残りの8つは教員の裁量に任されています。13〜25を全部やっても給料は増えないし、最低限の5つしかやらなくても責められません。

　極端に言い換えると、賃金が支払われる業務（17、18、20、22、23）だけでなく、賃金不払業務（それ以外の8つ）を教員に自発的に負わせることで大学の授業は成り立っている、ということです。

　賃金不払業務については、さすがに業務命令で強制的に従事させるわけにはいきません。教員が自ら、個性と熱意と創意工夫の発露として従事するものでなければならない。教員のプライベートな努力（≒裁量）によって、学生たちは反射的に知的メリットを享受するという構図です。そこに、「業務」でありながら、「私的」な要素が入り込む余地が生まれます。

　授業だけでなく、大学教員の業務には公私混同が幅広く観察されます。クラスミーティングのために教員がポケットマネーを支出するとか、クラブ活動の顧問として学校行事のためにマイカーを走らせるというのはよくある話です。逆に、就業時間中に、業務かどうか明白でない社会活動を行ったりもします。そしてそれが業績の一部とされたりします。

　公私（業務かどうか）の区別を明確にしようとすれば、確実にパフォーマンスの低下を招きます。それくらい、大学では、教員の私的な要素が重要な働きをします。教員はプライベートなお金と時間と労力を遣って教育や研究に携わり、その成果を還元するために社会活動を行っているわけです。

　そろそろ、上の質問に答える準備が整ったと思います。

　組織の「業務」なのに「私的な言論」とはこれいかに？

　大学の業務であっても、大学当局に編集責任、監督責任があるとはかぎらない。なぜなら、大学にとって広義の「業務」とみなしうる言動であっても、それは教員のプライベートな知的活動から大学が反射的に利益を得ているだけなのかもしれないのだから。

P.S.

　逆に、前表の17、18、20、22、23であれば、大学の権威筋が監督権限を行使できます。つまり、瀬尾氏が授業中に問題発言をして、学生から大規模なクレームが寄せられたような場合であれば、改善を指導したり、場合によっては何らかの懲戒の対象とすることができます。

追記（2008.05.02）

　<a href="http://www.cm.kj.yamagata-u.ac.jp/blog/index.php?logid=9350">「事象の地平線」</a>にて、「大学教員が発信した情報の責任は教員個人が負うべきである」理由について丁寧に説明されています。訴訟のリスク管理と絡めながら、表現の自由と大学による監督との関連を論じた迫力ある名文です。未読の方はぜひご一読を。→<a href="http://www.cm.kj.yamagata-u.ac.jp/blog/index.php?logid=9350">こちら</a>

　読後は↓クリックをお願いします。

　<a href="http://education.blogmura.com/edu_university/"><img src="http://education.blogmura.com/edu_university/img/edu_university80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 教育ブログ 大学教育へ" /></a>]]></description>
         <link>http://blog.koka.ac.jp/mt_open/users/alien/2008/05/post_102.html</link>
         <guid>http://blog.koka.ac.jp/mt_open/users/alien/2008/05/post_102.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">教育</category>
        
        
         <pubDate>Thu, 01 May 2008 12:16:50 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>ブログは大学教員の「業務」か</title>
         <description><![CDATA[<table border="0" align="left" vspace="5" hspace="15"><tr><td><table border="2" align="left"><tr><td colspan="2" align="center"><strong><span style="color:#ff9933">学術研究</span></strong></td></tr><tr><td>1</td><td>研究環境の整備</td></tr><tr><td>2</td><td>専門の研究活動</td></tr><tr><td>3</td><td>著書・論文の刊行</td></tr><tr><td>4</td><td>学会発表</td></tr><tr><td>5</td><td>学会の運営</td></tr><tr><td>6</td><td>研究費補助金の申請</td></tr><tr><td>7</td><td>サバティカル</td></tr><tr><td>8</td><td>専門の研修への参加</td></tr><tr><td colspan="2" align="center"><strong><span style="color:#ff9933">教育</span></strong></td></tr><tr><td>9</td><td>カリキュラム・開講科目表の編成、時間割作成</td></tr><tr><td>10</td><td>学生ニーズの把握と教育の企画</td></tr><tr><td>11</td><td>ガイダンス、一泊研修</td></tr><tr><td>12</td><td>履修指導</td></tr><tr><td>13</td><td>学生相談、クラスミーティング</td></tr><tr><td>14</td><td>オフィスアワーや個別指導</td></tr><tr><td>15</td><td>メール、WBT、LMSによる課外指導</td></tr><tr><td>16</td><td>ブログやSNSによる学生との一体感醸成</td></tr><tr><td>17</td><td>授業担当</td></tr><tr><td>18</td><td>研究指導</td></tr><tr><td>19</td><td>学力の把握と学生管理</td></tr><tr><td>20</td><td>成績評価</td></tr><tr><td>21</td><td>教育内容・方法の工夫</td></tr><tr><td>22</td><td>授業計画の作成</td></tr><tr><td>23</td><td>教材研究</td></tr><tr><td>24</td><td>教材作成</td></tr><tr><td>25</td><td>教育機器の管理</td></tr><tr><td>26</td><td>実習先との連絡・調整</td></tr><tr><td>27</td><td>学生授業アンケートの実施</td></tr><tr><td>28</td><td>FD研修への参加</td></tr><tr><td colspan="2" align="center"><strong><span style="color:#ff9933">大学運営・管理</span></strong></td></tr><tr><td>29</td><td>職場環境・人間関係の改善</td></tr><tr><td>30</td><td>人事の管理</td></tr><tr><td>31</td><td>受験生の選抜、入試作問</td></tr><tr><td>32</td><td>学科、学部、大学行事</td></tr><tr><td>33</td><td>教室会議・専攻会議の活動</td></tr><tr><td>34</td><td>ワーキンググループの活動</td></tr><tr><td>35</td><td>委員会の活動</td></tr><tr><td>36</td><td>教授会の活動</td></tr><tr><td>37</td><td>予算の立案</td></tr><tr><td>38</td><td>将来構想の企画</td></tr><tr><td>39</td><td>各種情報の収集と分析</td></tr><tr><td>40</td><td>広報内容の検討</td></tr><tr><td>41</td><td>パンフレット等の作成</td></tr><tr><td>42</td><td>ホームページの管理</td></tr><tr><td>43</td><td>補助金の申請</td></tr><tr><td>44</td><td>自己評価報告書の作成</td></tr><tr><td>45</td><td>学内各機関との連絡・調整</td></tr><tr><td>46</td><td>入学式、卒業式</td></tr><tr><td>47</td><td>人権研修への参加</td></tr><tr><td colspan="2" align="center"><strong><span style="color:#ff9933">社会活動</span></strong></td></tr><tr><td align="left">48</td><td>地域との交流</td></tr><tr><td align="left">49</td><td>業界、企業、団体との交流</td></tr><tr><td align="left">50</td><td>講演、セミナー等での講師</td></tr><tr><td align="left">51</td><td>マスメディア等への露出</td></tr><tr><td align="left">52</td><td>ブログ等による社会還元</td></tr><tr><td align="left">53</td><td>審議会、研究会などの活動</td></tr><tr><td colspan="2" align="center"><strong><span style="color:#ff9933">営業活動その他</span></strong></td></tr><tr><td align="left">54</td><td>オープンキャンパス</td></tr><tr><td align="left">55</td><td>高校等への出張講義</td></tr><tr><td align="left">56</td><td>高校訪問</td></tr><tr><td align="left">57</td><td>進路説明会</td></tr><tr><td align="left">58</td><td>保護者懇談会</td></tr><tr><td align="left">59</td><td>ホームカミングデイ</td></tr><tr><td align="left">60</td><td>サークルの顧問</td></tr><tr><td align="left">61</td><td>入試監督業務</td></tr></table><span style="color:#000000">　.</span></td></tr></table>　左の表は、昨年度ぼくが組合の委員長だったとき、大学教員の「業務」の範囲を示すために作ったものです。労使交渉の中では、これらのうち、どこまでが俸給の範囲内であり、どこからが手当ての対象なのかについて話し合われました。

　まぁ、さしあたってそれはどうでもよくて、今回のテーマは表の16と52です。すなわち、ブログの執筆は大学教員の「業務」（所属組織からの報酬を対価とする労働）なのかどうか。

　もちろん、所属組織からの業務命令がある場合は公式の業務ということになります。しかし、教員が自発的に、自らの裁量で、学生との情緒的一体感を高めるために、あるいは研究成果を社会に還元するためにブログを執筆する場合、それは所属組織の「業務」に当たるかのかどうか。

　一般の企業においては、たとえ職員のブログが営業上のメリットをもたらしたり、企業イメージを向上させる広報上のメリットが生じている場合でも、業務命令がないかぎり、ブログの執筆は「業務」扱いにはならないでしょう。むしろ、就業時間内に執筆していれば、就業規則によっては職務専念義務違反に問われますし、会社の資産（PCやネットワーク）を不当に流用したということで横領扱いされることすらあります。ブログだけでなく、表の48〜53の「社会活動」は、いずれも企業では就業規則によって禁じられていることが多いです。職務専念義務を脅かす活動であると考えられているためでしょう。

　ところが、大学教員の場合、これらの「社会活動」が教員評価の査定項目に挙げられていますし、第三者機関による認証評価でも審査項目に数えられています。いずれも、禁止されるどころか、教員の業績として評価され、積極的な活動を奨励されています。

　では、ブログの執筆は、所属組織における「業務」といえるのか？

　法律家がどう判断するかは分かりませんが、私見では、表の16の用途であれば「業務」であり、52（を含めた「社会活動」全般）は「業務」ではない。なぜなら、「社会活動」は研究者の倫理的責務として行うものであって、教員の仕事としてやるものではないというのが一般的な見解だと思われるためです。

　「社会活動」が教員評価の査定項目に含まれているのも、教員としての職務を遂行する能力をあらわす指標のひとつだからであって、「業務」の一部だからというわけではないでしょう。「社会活動」をいっさいやらなかったからといって、評価が下がるわけではないのはそのためです。

　ただ、実際にはそうキレイに線引きできるわけではありません。なぜなら、52の用途で運用されているブログであっても、実名で運用されていたり、学生たちにURLが周知されている場合、16の機能を併せ持つからです。

　例えば、<a href="http://blog.koka.ac.jp/mt_open/users/alien/2008/04/post_100.html">今月27日のエントリー</a>で紹介した事例では、問題とされた先生のブログは私論を書き並べたものであると同時に、ゼミのウェブを兼ねていたようです。とすると、あのブログの暴論群は、ただホンネを書きなぐっただけでなく、「あたしは腹を割って話すから、学生たちも胸を開きなさい」というメッセージをこめていたのかもしれません。うーん、あの内容からすると、ちょっと好意的に解釈しすぎかな。

　ともかく、大学教員のブログは、「業務」かどうかの線引きがたいへん難しい。大学教員の仕事自体、裁量が大きすぎてどこまでが「業務」といえるのかよくわからないのですが、中でも、ブログの執筆はビミョーな位置にあるなぁという話でした。

　ちなみに、ぼくは完全に業務だと考えてこのブログを運営しています。書いている内容はぼく個人の見解ですが、この活動自体は第一義的に所属校とその学生たちのためです。副次的に専門知識を少しでも社会に還元できたらいいな、ぐらいの感覚ですね。大学のサーバーを利用しているのは、そういうわけです。したがって、万が一、執筆内容に大学側からクレームがついたら（そうならないように心がけてはいますが）、大学側の指導に従います。

　それに対して、より専門的な研究内容を社会に還元するために、院生のころから10年以上やっている個人サイトの内容に大学側からクレームが寄せられたら、あらゆる手段を使って徹底的に闘うことになりますね。その辺の使い分けはきっちりやっているつもりです。

　読後は↓クリックをお願いします。

　<a href="http://education.blogmura.com/edu_university/"><img src="http://education.blogmura.com/edu_university/img/edu_university80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 教育ブログ 大学教育へ" /></a>]]></description>
         <link>http://blog.koka.ac.jp/mt_open/users/alien/2008/04/post_103.html</link>
         <guid>http://blog.koka.ac.jp/mt_open/users/alien/2008/04/post_103.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">このブログ</category>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">教育</category>
        
        
         <pubDate>Wed, 30 Apr 2008 11:27:54 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>もしかしてみんな休講にした？</title>
         <description><![CDATA[　気持ちのいい天気です。何台ものツーリングバイクとすれ違いました。

　<a href="http://blog.koka.ac.jp/mt_open/users/alien/2007/06/15.html">授業回数を15回確保</a>しなければならないということで、休日でも授業はあります。とはいえ、今日は3年生と4年生のゼミが一つずつ。課題でも与えて休講にすればよかったなぁと思いながら出勤しましたが、構内がみょうにサビシイ。

　もしかして、みんな休講にした？　学生たちが、何度も「本当に授業やるんですか？」って聞いてきていたのは、ひょっとして、そういうこと？　……orz


　<a href="http://education.blogmura.com/edu_university/"><img src="http://education.blogmura.com/edu_university/img/edu_university80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 教育ブログ 大学教育へ" /></a> <a href="http://science.blogmura.com/socialscience/"><img src="http://science.blogmura.com/socialscience/img/socialscience80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 科学ブログ 人文・社会科学へ" /></a> <a href="http://blog.with2.net/link.php?457514"><img src="http://blog.koka.ac.jp/mt_open/users/alien/banner_03.gif" width="80" height="15" border="0" alt="人気blogランキングへ" /></a>]]></description>
         <link>http://blog.koka.ac.jp/mt_open/users/alien/2008/04/post_101.html</link>
         <guid>http://blog.koka.ac.jp/mt_open/users/alien/2008/04/post_101.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">閑話</category>
        
        
         <pubDate>Tue, 29 Apr 2008 10:03:38 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>韓国の受験教育</title>
         <description><![CDATA[　朝鮮日報オンラインの<a href="http://www.chosunonline.com/article/20080428000033">記事</a>（<a href="http://s03.megalodon.jp/2008-0428-1050-40/www.chosunonline.com/article/20080428000033">ウェブ魚拓版</a>）を一つ紹介します。見出しは「米名門大入学のため韓国で過酷な教育＝NYT紙」<blockquote>　米紙ニューヨーク・タイムズは、アイビー・リーグ（米東北部の名門私立8大学）に生徒を入学させることに熱を上げる韓国の「エリート」高校を批判した。

　同紙は27日、テウォン外国語高校と民族史観高校を紹介し、「両校の教育方式は過酷だ」と報じた。

　同紙はテウォン外国語高校で米国留学を志望しているある女子生徒の話として、「朝6時に起き、6時50分に学校のバスで登校、夜10時50分に夜間学習の終わりを告げるチャイムが鳴ったら帰る」と報じた。（以下、略）</blockquote>　「6時50分にバスで登校」までは、フツーじゃんと思って読みましたが、下校が夜10時50分というのは、たしかにすごい。ようするに、通常授業のほかに予備校の機能をもっているということですね。

　ただ、アメリカの教育観からすれば異様に思われるとしても、日本や後発工業国の教育観からは「過酷だ」とまでは言い切れないでしょう。実際、放課後に予備校に通っていれば「夜10時50分に帰宅準備」というケースはめずらしくありませんし、文部科学省の縛りさえなければ日本の高校でも同じようにやりたいところは少なくないはずです。

　それでも、やっぱりすごいのです。何がすごいって、これだけの教育システムを運営するには、おそらく2交代制で教員を確保したり、有能な外国語教員を雇用するなど相当な人件費がかかっているはずですが、それにしては授業料が安いのです。

　テウォン外国語高校のウェブは<a href="http://dwfl.hs.kr/">こちら</a>。かっこいい。<a href="http://dwfl.hs.kr/entrance/entrance01.asp">入学案内のページ</a>に授業料の記載はなかったのですが、<a href="http://www.chosunonline.com/article/20071116000053">過去の朝鮮日報の記事</a>（2007年11月16日）に紹介がありました。

　テウォン＝大元の年間授業料は484万2000ウォン（約50万円）です。公立高校の学費に比べるとはるかに高額ですが、日本の一般的な私立高校と同じ水準ですね。私立高校の学費に予備校の学費を合わせると日本でも韓国でも年間100万円近い支出になりますので、それを考えると格安だといっていい。もしかすると、授業料のほかに補習費用として徴収される金額が隠れているのかもしれませんが、いくらなんでも授業料と同額ということはないでしょう。しかも、高校と予備校がシームレスで連携されているので教育効果も高いと思われます。おまけに、バスの送迎つきなので、安心でもある。どう考えてもリーズナブルです。

　いったいどうやって経営が成り立っているのか、詳しく聞いてみたいものです。


　<a href="http://education.blogmura.com/edu_university/"><img src="http://education.blogmura.com/edu_university/img/edu_university80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 教育ブログ 大学教育へ" /></a> <a href="http://science.blogmura.com/socialscience/"><img src="http://science.blogmura.com/socialscience/img/socialscience80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 科学ブログ 人文・社会科学へ" /></a> <a href="http://blog.with2.net/link.php?457514"><img src="http://blog.koka.ac.jp/mt_open/users/alien/banner_03.gif" width="80" height="15" border="0" alt="人気blogランキングへ" /></a>]]></description>
         <link>http://blog.koka.ac.jp/mt_open/users/alien/2008/04/post_98.html</link>
         <guid>http://blog.koka.ac.jp/mt_open/users/alien/2008/04/post_98.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">教育</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 28 Apr 2008 10:49:46 +0900</pubDate>
      </item>
      
   </channel>
</rss>
